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「ペトロ」と「ヨナ」

加藤 豊 神父

 

 教区司祭のわたしが「霊性」について云々するのはおこがましいことと自覚しつつ、実際、わたしが神学生の頃には「霊性を考える」という授業がありました。

 

 もちろん、これはよく話題に上がる「教区司祭の霊性とは」といった内容ではなかったし、その頃よく養成担当者たちから聞かされたのは「霊性、霊性って簡単にいう人がいるけど、そもそも、どんな霊性であろが、その根源は「聖霊性」のはずだろ」ということです。すなわち「霊性」の「霊」は「聖霊」の「霊」であるはずで、別の「霊」などあろうはずもないという、そんなふうに理解し、今もそういう理解なのですが、実のところ、このテーマは、わたし自身にはとても苦手なものです。

 

 「ガラテアの信徒への手紙」には、この「霊」というキーワードを巡って、それらが正確には「(神は)御子の霊を、わたしたちの心に送ってくださった」とあり(4:6)、その一方で、「世を支配する諸霊」(4:3b)という対立概念を立てて、これ(御子の霊)を説明しようとしています(4:9b)。

 

 いずれにせよ、「賜物にはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ霊です」(1コリント12:4)といわれているように、違って思えても「同じ霊」なので、その意味では確かに「御子の霊」と「諸霊」との識別は難しい、けれども「一人一人に『霊』の働きが現れるのは、全体の益となるためです」(1コリント12:7)、という言葉に明らかなように、「全体の益」となっているのか、いないのか、で、それがどういう「霊」かは見分けが着くわけです。現実にそうならない場合、そこではたとえどんなに屈辱的に思えたとしても、先ずは自らが誠実に自分を振り返るしかありません。

 

 この「全体の益」は、無論、ポピリズムに陥る危険がありますが、上手くしたもので、ポピリスムそのものが「霊的な価値観から生じない」特徴があると思うので、これを回避するのは、それほど困難なことではなく、むしろ、簡単に思えて難しいのが、自分と向き合う際の「砂漠の隠遁者の如き苦行のような振り返り」のほうがよっぽど難しい。人間とは、時として原寸大の自分を自己受容することに大変な抵抗を示すことが有り得る生き物だったりしますからね。これには気をつけたいものです。

 

 「全体の益」をもたらすものは全てこれ、「御子の霊」によるものでありましょうが、「全体の益」を損ない、一部の人たちの益となるようなときには、二つの点で注意しなければならないことがあると思います。

 

 「本来、時間をかければ全体の益となるが、長い時間を要するために途中で挫折していないかどうか」ということと、「その人の見えている全体が、実は一部であって、本当の全体ではない」ということ、これらは往々にしてあることで、もったいないといえばもったいないのですが。

 

 さて、話が大分逸れてしまいましたが、「霊性を考える」というテーマのもと、授業だけではなく、そのための黙想会もありました。わたしは修道会の司祭ではありませんから、本格的な黙想会の究極的なスタイルは知りませんし、そのときの黙想会も、伝統的なそれであったのかどうかも解りません。しかし、そこで得たものは自分なりにはとても大きなものでした。

 

 授業の延長線上に計画されたその内容は、「ペトロの霊性」と「ヨナの霊性」でした。感のいい人ならこの時点で察しがつくと思うのですが、お察しのとおりでありまして、司祭職とは「神の道化師」でもある、というメッセージに貫かれた講話でした。

 

 わたしも若い頃はよく、小教区以外の仕事を任されたことがありましたが、その折、出向いた先では「神父さんは、どこの修道会ですか?」と聞かれたことがあります。一度や二度ではありませんから、やはり東京教区における各男子修道会の活躍にはめざましいものがあり、それはいまでもそうなのでしょう。

 

 「いえ、わたしは教区司祭です」というと、「えっ、なんですか、それ」といわれたほどで、子供の頃から、修道会委託教会で育った方々にとっては、司祭は皆、どこかの修道会に所属しているものという認識だったりします。まあこれは極端な例ですけどね。

 

 いつでしたか、やはり同じ質問を受けたので、わたしもついに「ペトロ会です」と答えたことがありました。すると、「そんな会があったのですね」といわれましたが、まあこういうケースで強引に、かつ無理に当てはめるなら教区司祭はいわば「ペトロ会」みたいなものでしょうか。こうしたやり取りは実はわたしだけでなく、先輩の教区司祭たちのなかには、やはり同じように答えたことがある人もいます。

 

 ペトロはおよそ「かっこいい」という印象ではありません。そのせいか、あまり「洗礼名の候補」に上がり難いのでしょうか。「恐れ多いから」といっていた洗礼志願者もいましたが、そういう事例は極めて少ないものでした。

 

 幼い男の子でさえも「かっこいいもの」に惹かれます。おそらく歳を取っても「カッコよく」ありたい男性は多いはずで、事実「かっこよくありたい」男性は教会にも沢山います。それが悪いわけではないものの、やはりそれが全てではありませんし、増して信仰は「かっこ」ではありませんよね。

 

 そりゃ「ペトロ」よりは「パウロ」のほうが「カッコよく」描かれてはいます。けれども、パウロは自分でも語っているように彼なりのコンプレックスがあったわけです。

 

 そりゃ「ヨナ」よりも、小預言書の「アモス」や「ゼカリア」のほうが「カッコよく」描かれていますが、預言者の苦悩のほとんどは読み手にとても重苦しいものを感じさせるところがありますね。

 

 ペトロの「かっこ悪さ」を、福音書は随所に伝えます。だからこそわたしたちは、ペトロの人間的な広がりや、常に「原寸大の自分から主の御跡に従おうとする」その姿に触れることができ、それは教区司祭の「在俗の立場」に通じるものがあって、わたしには見逃せない点です。

 

 誰もが福音宣教のヒーローになるわけではありません。「聖人の陰に聖人あり」といわれるように、無名の聖人「縁の下の力持ち」といった多くの人が、一人の聖人の背後にいて、ともすればそれをわたしたちは見逃します。宣教は、それを支え、それを後押ししつつ、いくら「かっこ悪い」思いをしてもめげずに「神の国の到来」に己をかけるという人たちの活躍こそ重要なものでしょう。

 

 だから「ペトロ」の姿を思い浮かべれば思い浮かべるほどに、必然性のないヒーローなどには、なりたくなくなるし、ヨナの姿を思い浮かべるたびごとに「また空回りしちまったな」と、素直に「自分自身が原寸大の自分と和解する」ことができるわけで、これは一種の達観ともなるでしょう。

 

 本当に大事なことは「かっこいいこと」などではないことは、周知の事実でありながら、「神の国の完全な到来」以上に「かっこいいかどうか」ということばかりに意識を集中させるというのは、「道化師」の風上にも置けないということですね。

 

 もっとも「ペトロ」も「ヨナ」も、彼ら自身は当然、素直すぎるが故に「かっこよさ」には惹かれるわけですが、ただ、結果的に「かっこがつかない」わけです。しかし、それでもみ旨を求め続けるところは、やはり「かっこよさ」を第一の目的とはしていない、と思えるのです。むしろ主に従うならば、その思いはやがて「全体の益」となってくるはずですからね。

 

 「シモン(ペトロ)・バルヨナ(ヨナの子)、あなたは幸いだ。(中略)わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる」(マタイ16:16-18)。(他の箇所、例えばヨハネ21:15などでは「ヨハネの子シモン」という記述になっていますが、「ペトロ」と「ヨナ」の関係性がもし「霊性」を介したものだとすれば、これはちょっと面白い繋がりでしょ)。

 

 主の御目に、ペトロはどう映っていたのでしょうか。それはまことに興味深い。少なくとも、現代社会における「サマになる」ような「かっこよさ」とは、また異なる彼らしさがあって、それは主の思いを託すに足る何某かであったことでしょう。

 

 それは「かっこうがつかない」ことを厭わない、というだけのことかもしれませんし、「いまの(その時々の)自分」がどうあれ、「イエスに従いたい思い」が「打算的な思い」の数々を凌駕していた、という見方も出来ます。

 

 つまり「全体の益」(共通善)の実現は、「かっこよさ」には比例しない、ということを無意識に証していたのかもしれず、それはまさに(大げさな言い方かもしれませんが)ペトロの「霊性」といってもいいものなのかもしれません。