さくらまち 186号(2018年2月4日)より


◆ 待降節特別講話

◇ 降誕節(アドヴェント)に大切なこと ◇

 

イエズス会

角田祐一神父

待降節というのは、一体何なのでしょうか?

ひとつは、イエスさまがこの世にお生まれになるクリスマスを迎えるにあたって、心の準備をする期間です。もうひとつは、終末に来られるキリストさまを待ち望む準備をする期間です。

 

待つ時間の「質」

 

アドヴェントとは、英語で到来という意味で、待降節と訳されています。待ち望むというのは、どういう意味なのでしょうか。

 

普段、わたしたちが日常生活の中で5分という時間を過ごす時、あっという間に過ぎ去ります。しかし、誰かを待っている間の5分間は、たいへん長く感じられます。とりわけ、大切な人を待っている時は長く感じられます。それは誰かを待っている時、時間の「質」が変わり、濃密な時が流れるからです。

 

わたしたちが待つことができるのは、相手が来るだろうと思っているからです。

 

思い浮かべるのは、「忠犬ハチ公」のお話しです。大好きなご主人が急死してもずっと待っていたハチの心の中には、いつか帰ってくるだろうという確信に満ちた想いがあったからなのでしょう。

 

アメリカに留学していた時のこと。映画『ハチ公物語』のリメイク版『Hachi: A Dog's Tale』を観たアメリカ人の女性が、涙を流して「これは実話だったのですね。ものすごく感動しました」と言っていました。

誰かをひたする待ち望んでいるその姿というのは、わたしたちの心に何かを訴えかけて、感動を呼ぶものなのです。

 

開かれた心で待ち望む

 

神さま、イエスさまに対して開かれた心で主を待ち望むのが大切なことです。神さまへの信頼、神さまに委ねて生きる心、信仰を深める大切な期間が待降節なのです。

 

新約聖書では、イエスさまが生まれるにあたり、マリアのいいなずけのヨセフに、いろいろな出来事が起こりました。

・受胎告知の場面(ルカ1章26-38節)朗読

・ヨセフの応答(マタイ1章18-25節)朗読

 

天使がマリアとヨセフに告げた言葉で共通するのは、「主はあなたと共におられる」、「神は我々と共におられる」という言葉です。イエスさまの誕生という出来事は、神さまがわたしたちにとって身近なものとなり、我々と一緒におられることを意味しています。

 

ヨセフは、不安と期待(闇と光)が入りまじった心境で、イエスさまを迎える備えをしていきました。ヨセフのように神さまに心を開くことで、闇の中を歩みながら光が少しずつ見えてくる、光をたよりに荒野を歩んでいくことは、待降節における大切な心構えを表していると思います。

 

回心すること(神さまに心を向けていく)

 

本当の意味で、神さまに開かれた心で過ごすにはどうしたら良いでしょうか。

 

イエスさまとの交わりを常に保つという意味で、ご聖体の秘跡は非常に大切なことです。同時に神さまに向けて罪を告白し、赦しをいただくことで、神さまとのより深いつながりが開かれることになります。カトリックの良いところは、この信仰の両輪により、神さまと一緒にいることを意識できることにあたります。

 

大切な期間としての意味

 

待降節は、わたしたちがキリストさまを待ち望む期間であり、同時に神さまもわたしたち人間が神さまのもとに戻ってくるのを待っている期間でもあります。

 

待降節の4週間は、神さまに立ち返る時です。わたしたちが待降節の期間を大切に過ごすならば、クリスマスを迎える時、神さまは本当に素晴らしい恵みをわたしたちに感じさせてくれると思います。

 

実り豊かな待降節の時を過ごすことができるよう、共に願いながら歩んでいきたいと思います。