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復活の朝、墓へと走る使徒ペトロとヨハネ

G.T.

 

 主のご復活おめでとうございます。

 

 とても気に入っている宗教画のレプリカを持っています。ミケランジェロやレオナルド・ダ・ヴィンチ、レンブラントのような巨匠の作品ではなく、あまり知られていない画家の作品です。ちょうど主の復活の主日(4月21日)のミサで読まれた福音書(ヨハネ20・3-4)の瞬間をとらえた素晴らしい作品です。

 

 「復活の朝、墓へと走る使徒ペテロとヨハネ」という作品名で、スイス出身の画家ウジェーヌ・ビュルナン(1850-1921)が1898年に描かれたものです。

 

 朝焼けの空と雲の下に広がる平穏な風景を背景に、ペトロとヨハネはキリストのお墓に駆けつけています。彼らはつい先ほど、キリストはもうお墓にいないのだ、キリストはよみがえったのだと、マグダラのマリアから知らされました(ヨハネ20・1-2、ルカ24・5b-10)。彼女の言葉が耳の中で鳴り響きいる二人は、今にも走り出しそうな勢いで身を乗り出しています。

 

 主イエスが十字架の上で亡くなられた時共にいた唯一の弟子のヨハネは、胸に両手を握りしめながら、主が再び生きておられるかもしれないことを本当に信じていいのかと、ドキドキしながら気絶しそうに、希望と気がかりを交えた気持ちでいっぱいの様子です。

 

 そして、ついこの間三度も主イエスのことを知らないと言い切って、後に激しく泣き(ルカ22・61-62)、自分の弱さを痛く、深く感じながら痛烈に後悔しているペトロは、怯えながら希望に満ち、恥を感じながら必死の様子です。彼はマグダラのマリアの報告が信じられるかわからないが、信じたいと考えている様子です。また、彼は胸に手を当て、完全に失った勇気は今、心にあるかのように感じたい様子です。

 

 ビュルナンはなんとその1つの顔に様々な複雑な感情を巧みにとらえました。

 

 描かれたその瞬間の二人の使徒の様子をしばらく静かに観ているうちに、それこそ四旬節の意義ではないかと思うようになりました。私たちが、砕けた心の重荷を背負って、主イエスを否定したことを恥じ、そして主が生きておられ、私たちを愛し、私たちを赦してくださることを切に願っているのではないでしょか。

 

 復活の朝というテーマなのですが、ビュルナンは婦人たち、墓、亜麻布を描かず、ただこれから起こる主イエスのお約束だけをペトロとヨハネを通じて描きました。

 

 それも、私たちにとっての「主のご復活」における体験ではないでしょうか。私たちは主のご復活を信仰によって受け入れ、それが真実であることを切望しています。私たちは、主イエスが生きておられること、そして主が私たちの弱々しい信仰を立証され、私たちの罪を赦してくださることを信じていながら、未来に向かって突進します。

 

 この見落とされがちのビュルナンの傑作は、この復活節に私たちの慰めになることができるように、そして、私たちの信仰が高まり、私たちの砕けた心が癒されるよう願っています。そして、私たちの目が、ペトロとヨハネがその最初の復活の朝に持っていたのと同じような、「絶望的」な希望で満たされますように。