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教会の共通善について②「外国人司牧の経験から」(前編)

加藤 豊 神父

 

今や日本全国どの教区であれ、どの小教区であれ、外国人の姿が以前に増して目立ってきていると思います。この小金井に来る前に、わたし千葉の房総にいましたが、わたしがいた教会は日本人信徒よりも外国人信徒のほうが多い教会で、圧倒的に多かったのはフィリピン人でした。

 

そもそも千葉県市原市だけを例にあげてもそこには58カ国の人が住んでいるのだそうです(5~6年前のことですが)。一気に増えたというより、徐々にでしょうけれど教会は世間の大体7分の1のペースですから、気がつくとある日突然増えていたイメージです。日本人もフィリピン人もよくまとまっている共同体で、色々あっても概ね和気藹々でした。しかし、おそらく初めからそうだったわけではないでしょう。千葉地区も多摩地区も一致に至るまでのプロセスとして次のような段階があると思います。

 

先ず、第一段階は相互のカルチャーショクを伴う避けがたい衝突、日本人信徒と外国人信徒との間で繰り広げられるゴタゴタとした状態です。日本人だけでもなかなかまとまらないのに、外国人が入って来るわけですから混乱は言わずもがなです。しかし、やがて皆、そのゴタゴタから学びます。教会によって時間がかかることも、また早くに学び取ることもあり、それぞれの環境や教会の規模などが異なるため一概にはいえないが、お互いが慣れてきて、この学びが定着すると新たなステージに入ります。

 

次に、一方で外国人と仲良くやっていこうとする日本人がいて、やっぱり日本人同士が付き合い易いとし、排斥感はないにせよ、遠巻きに外国人と距離を取る日本人信徒がいる、という舞台設定のようになります。いってみれば、外国人信徒+外国人の側に立つ日本人と、外国人の側には立てない日本人信徒との対立項が形成されるというか、そういう単純な二項対立ではない構造となります。

 

その次に、ようやく、そしてなんとなく時間をかけた分、それぞれが溶け込んでしまい、とりあえずは纏まってきます。ここまで来るともう、婦人会に入った外国人は当番の日に教会にお掃除をしに来ますし、外国人青年は教会学校のリーダーをしたりと、ある意味で日本の教会の一員として奉仕活動に熱心に取り組んでくれます。

 

通っている教会が自分の所属教会であるという意識から、積極的に維持費を納めてくれるようになります。また、こうなると、もともといた日本人信徒も文句を言い難くなります。何しろ信者家庭でありながら家族で教会に来る人は少なく、人によっては生活に余裕がありながら維持費を収めることもなく、活動に加わることもない、という日本人は毎年増えているでしょうし、そもそもこれらの仕組みを知らない日本人も少なくないのですから、

務めを果たしつつ生き生きと信仰生活を送る外国人信徒が多少弾けても大目に見ざるを得ないのではないでしょうか。

 

更に、定住組が多いフィリピン人やペルー人からすれば最近、特に増加傾向にあるベトナム人はニューカマーとなります。従って、自分たちが受け入れられた経験をもとに新たな仲間の受け入れ対応が丁寧で寛容なのです。長い時間をかけてこの段階まで来た共同体は並々ならぬ苦労を経験していると思うのですが、今後は、よりハイレヴェルな共同体作りが求められる複雑な事態が生じますし、思っても見なかった全く次元の違う事態が今、問題になっているようにわたしには見えるのです (③に続く)。