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王であるキリストをほめたたえよ

G.T.

 

(教会の典礼暦年最後の主日に向け、王であるキリストをほめたたえます。)

 

初めにみ言葉があった。

み言葉は神であった。(ヨハネ1・1)

 

み言葉は無力な新生児として

天から来られ、

ご自分の栄光を蔽い、

わたしたちの間に住まわれた。

 

仕えられるためではなく

仕えるために、 (マタイ20・28)

わたしたちが生きられるように

ご自分の命を献げるために来られた。

 

涙の庭において、

わたしの重荷を背負われ、

悲痛なみこころが引き裂かれ

「しかし、わたしの思いではなく、

御父のみ旨が行われるように」(ルカ22・42)

と仰せになった。

 

見よ、癒しを与えられたみ手、

油注がれたみ足、

アガペーの愛を語る深い傷跡を。

自ら進んで残酷な釘に差し伸べられ、

すべてはわたしのために行われた。

 

王であるキリストをほめたたえよ、

わたしの内にあるすべてのものよ、

聖なるみ名をたたえよ、(詩編103・1)

すべての名に勝るみ名をほめたたえよ。(フィリピ2・9)

 

み名はインマヌエルと呼ばれ、 (イザヤ7・14、マタイ1・23)

驚くべき助言者、力ある神、

永遠の父、平和の君と呼ばれる。(イザヤ9・5)

アルファでありオメガてある

万物の支配者。(黙示録1・8、22・13)

 

生ける神の子、メシア、 (マタイ16・16)

善い羊飼い、(マタイ10・11)

道であり、真理であり、命である。(ヨハネ14・6)

王の王、主の主、(黙示録19・16)

世の罪を取り除く神の子羊よ。(ヨハネ1・29)

 

わたしのこころを調べられ、

わたしを知り尽くしておられ、(詩編139・1)

わたしを導かれ、

聖なるご存在でわたしを満たしたまえ。

 

王であるキリストをほめたたえよ、

わたしの主、わたしの神よ。(ヨハネ20・28)

 

アーメン。