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切り離せないものを切り離そうとするのは何故か?

加藤 豊 神父

 

(1)子供時代の体験から


 まだ子供の頃だった。実家の裏には一件挟んで神社があった。9月には毎年、祭りが行われ、神輿や山車(だし)が町中を練り歩き、笛や太鼓の音は鳴り響いていた。お世辞にも町中の庶民の信仰を集めているとは言い難い神社だったが、境内には神職の家族が住んでいた。

 

 言い伝えによれば、ある時代、農地が一気に平らげられて住宅が連なったため、行き場を失った蛇が町中に溢れたという。その際、毒蛇もいたので安全のため哀れにも蛇たちは駆除されていったという。その蛇たちは、先述の神社に集められ、焼かれたというのだ。昔の話とはいえ、大昔の話では決してない。直後に人類は月に到達しようとしていた頃のことである。だからまだ町にはおそらく時代を超えた蛇への畏敬の念のようなものや祟りを恐れてのうやうやしい葬り方が、行われていたというわけだ。
なんとも慎ましいことだと思った。「やさしさ」のようなものをも感じた。

 

 もとより自然崇拝の延長に様々な神々が世界各地で礼拝されたが、町にいた蛇もいなくなり、日本狼も今やどこにもいない。祭囃子は、年ごとに、子供のわたしにこの一連の出来事を思い起こさせた。子供たちは普段は寂れたようなその神社に向かい、祭りのため突如設けられた屋台へと群がった。

 

 しかし、比較的仲の良かった I 君は、祭りのときには絶対に姿を現さない。彼はその性格から催しがあれば誰よりもそれを楽しむような少年だ。毎年、祭りの度毎に彼がいないということに気づいたのはいつからだったろうか。わたしはあるとき彼にわけを尋ねたことがあった。しかし、彼は何も答えない。そしていつしか I 君だけでなく、M君も祭りの度にいないことにも気付かされた。

 

 物知りの大人に聞いてみた。そうしたら、こういわれた。「国語辞典を持っているだろ、『宗教』という言葉をひいてごらん。あと『邪宗』という言葉も多分載っているから、それもね」。わたしは早速その通りにした。数日後、物知りの大人に更に分け入った質問をした。すると「うん、それじゃ今度は『新興宗教』って、ひいてごらん」という。

 

 また、その数日後、その通りにしてみたことや、自分が感じたことなどを、わたしは全て話してみた。長時間のやり取りの末、何かがようやく見えてきた気がした。I 君、M君、二人には共通点があった。彼らはクリスマスも嫌っていた。「嫌っていた」というより、家族からはそのような集まりには参加しないようにといわれていた、というのが真相だった。

 

(2)今思うこと


 今思えば、その類の原理主義的発想というのは、その時代に大きくなった新興宗教の特徴だったかもしれず、カトリック教会でも似たような(あるいはもっと厳格な)ところがあったろう。こんにち、教会でも七五三を迎えた子たちは祝われる。勿論、教会ではお神酒は飲まないし、司祭も祝詞を挙げるわけではない。否、祝詞どころか、そもそも七五三は寺院でも読経をもって祈念されている。江戸時代には社僧もいたから場所が神社であってもその人たちが社僧である限り、唱えていたのは祝詞ではなく、多くは読経や真言であったろう。

 

 もとをたどれば七五三は武家の習慣だったし、中世の欧州がキリスト教文化なしには宮廷儀礼さえありえなかったことにも同様のこといえるが、当時の武家の習慣は、寺社なしにはありえなかったはずである(それだけを理由に「それは宗教だ」と公言してしまうのが現代人であり、それは間違えではないとしても妥当な認識ではないだろう)。現代人の考えや感性を基準に武家の習慣だった「七五三は神仏習合以降の宗教行事だ」などといい切ってしまうのは、あまりにも時代背景を無視した発言だろう。

 

 日本には「キリスト教は嫌いだがクリスマスは好きだ」とか、四旬節とは無関係に「リオのカーニバル」に注目する人は多い。最近では「ハロウィン」が異様な盛り上がりを見せているが、教会とは無関係。「バレンタイン」が人名だということを知らない人もいる。その現状は決していいとは思わないが、わざわざ批判する気にもなれない。ところで、それらを全て「元来キリスト教の習慣だから」という理由で廃してしまう教団があるなら、それじたい必然的に文化現象までもが否定するということになってしまい、もうこの世から出て行くしかなくなってしまう。結果、地下に潜ってカルトとなってしまうこともあるだろう。

 

 わたしたちは知らねばならない。神社がかつて「こんにち的な意味での宗教施設」であるよりは公民館のような機能を果たしていたことや、また反対に現代の冠婚葬祭がどれほど非儀式的で無宗教儀礼の形態を目指しても、冠婚葬祭じたいが人間の持つ、一つの宗教的営みであろうことを、である。人類が誕生して後のことである遥か昔から、人は「人の死」をみ続けてきたのであり、そのときには〇〇教などというものはなかったいが、宗教的感情は葬儀のようなものを成立させていたということなど充分にあり得るということである。今はせっかく身近なところに「形」があるのに商業ベースの価格競争でおかしなことになっている。

 

(3)違いが見えに難くなってきた庶民

 

 背後にどんな陰謀があるのだろうか、この不自然さ、この釈然としない傾向。極端なことをいえば「その国の古き伝統からすれば新しく結成された宗教団体」と、その国の政治とが不健全な形で絡み合うときには、真の意味での信教の自由の危機が生じる。

 

 一方的な主張が子供の無垢な楽しみまでも奪い、世界各地のそれぞれの文化に優劣をつけ始めたり、人は成長過程での内省を知らず知らずのうちに阻まれる。

 

 歴史には人類にとっての様々な失敗がある。よく歴史に「たら、れば」はないといわれる。その通りだろう。しかし、そのことは「もし自分がそこにいたなら」と、考えるようなことをしてはならないということではない。

 

 よくいわれることだが、実際には「政教分離」とは、政治と宗教の切り離しではない。国家が特定の宗教を優遇しないというのがこの原則の正確な理解である。だから、アメリカ合衆国大統領はカトリックであろうとプロテスタントであろうと、無宗教であろうと、先祖が誰であろうと、何はともあれ「聖書に手を置いて」宣誓する。

 

 パキスタンでは回教の教えを応用した日本の民法のようなものがあるが、日本の民法に当たるものも、あるいはそういえそうなものは無いに等しい。カトリック信者のパキスタン人もいるが、母国では母国の法に従っている。これを信教の自由の否定や国民へのイスラム教の押し付けといえるだろうか。

 

 日本はキリスト教国ではないから、教会が問題を起こしてもお寺さんに影響を与えることは少ないかもしれないが、人々の宗教不信が進むため、やはり影響は免れない。お寺さんが問題を起こせば、教会も伝統宗教としては一括りなので叩かれることもある。そしてやはり人々の間に宗教不信が広がり、既存の教団に救いを求める人は減り、新宗教が栄える。

 

 だから伝統宗教は(正統なものなら)お寺さんであれ神社であれ教会であれ、立場や利害が一致するところがあるし、その意味で互いに運命共同体だという状態なのに、なかなか対話が進まない。これは何とかしないと、このままでは日本人の宗教に対する歪んだ受けとめと、それに関する知性は衰えていき、幼稚な宗教観は加速して(宗教法人の法人格を取得して、社会の福利厚生に実績のあるものはともかく)、怪しげなカルトの犠牲者は増える一方となるのではないか。

 

(4)嫌増す懸念材料①

 

 これだって言い尽くされた感のある意見だが。確かにどんな教団にも宗教である限り危険な面があろうが、それは人生と同じだ。また車の運転と似ている。どんなものにも危険と必要性の両方があり、避けて通れないからこそ、これと向き合うことに慣れておかねばならず、肯定否定は個人に任せるスタンスを取るべきなのが、現代日本社会で整理されるべき宗教理解であるはずだ。

 

 万教同根の観点から、わたしはこんなことを言っているわけではない。何故ならそれだって、人々の信仰の歴史的な変遷の一面に過ぎないことで、現代人のわたしたちの間尺に合う適度な「着地点」だろうし、いわば平和的で建設的な諸宗教的次元における、暫定的な総論の名称であろうから。

 

 ただ、普通に過去を振り返るなら、先人たちの歩んだ道の途上には、祀られる蛇もいたし、もっと前には七五三を経たお侍さんもいた。小さな町には、どこから来たのかわからない「たこ焼きの屋台」も出現したし、テレビのある家庭では、月着陸の中継を目の前にしながらも、知られざる者への畏敬の念が衰えることはなかったろう。十字軍がいたかと思えば、難なくムスリムと仲良くなってしまった動物愛護の守護者のようなアッシジの兄弟もいた。

 

 人類は文字どおり「人類規模」で、これまでそういう人や事物と出会ってきたし、未来の人も、わたしたちが出会ってきたものや人物と出会うことになろう。いまのわたしたちが「昔の話さ」「迷信さ」と、過去の事例を軽んじるのは容易い。それどころか、現代人がそうする科学的根拠も反省も、そこには確かにある。

 

 ただし、畢竟、軽んじるだけなら、わたしたちは先人たちとの文化的連続性を失うことになり、目先しか見ずに横の繋がりだけを頼りにし、縦の繋がりは全く意識されることがなく、そうなってしまった後からは、頼りにしていた横の繋がりが断たれた場合、孤独が益々深まってしまう、というのは当然であろう(コロナ禍の社会ではこれが暴かれた)。

 

(5)嫌増す懸念材料②


 わたしが以前いた教会に、その地域のある中学の教師がやって来た。彼女は自分がカトリック信者であることを、学校にはいわないで欲しいという。因みにその教会には、彼女が担任をしているクラスの生徒も所属していたが、「わたしもカトリックなのよ」と、教会で生徒に会いたいと思うことがあっても、それは難しいという。

 公立の中学でありながら(であるからこそなのか)個々の教員の思想信条が職場に影響し、生徒たちを偏った(?)価値観に導いてしまわぬように、という趣旨から制約があるそうだ(ミッションスクールの悩みはこれとは正反対でどうやって福音的な価値観を生かすかだが)。「いざとなったときの雰囲気」を想像すると、怖くて生徒にカミングアウト出来ずにいるらしい。

 

 現代の隠れキリシタンを自称していたが、それは幕府に失礼だろう。何故なら徳川の時代を貫く十五代の各将軍にとっては、政治に介入しないなら、キリシタンの多くはそれで済ませてもらえた(ご住職は「この家は実は『隠れ』だな」と知っていて檀家まわりでその家にも立ち寄るくらいだった)。現代日本の某公立中学校よりもずっと公平で寛大だ(実はそういうことが解らないと殉教者の真実も解りにくい)。

 

 この点は(この点だけをいえば)ひょっとしたら戦前のほうが大らかだったのではなかろうか。学校や教師にもよるであろうが、読み書きソロバンには至らないものの、教養としてのキリスト教は堂々と社会科の授業で扱われていたのだから。精神性の高貴さを携えた人々によって、国内外を問わず「人間とは何か」を模索した人々とその思想とは、かなり重んじられ、学びの対象とされていたであろう(西洋に追いつけ、追い越せという気持ちもあったかもしれないが)。

 

 これはいい尽くされているようなことだが、然るにこんにちでは、時代は進んだようには見えるが、人間はどうか、と多くの宗教者がいう。今やこれがあまり響いてこないのは、何故なのか?

 

 一方、自然科学の分野であっても、「学閥」という人間的過ぎる一面は当たり前のようにある。それは真理探究のために分かれているわけではない「派閥」だったりするので、そのあたりが科学者でありながら、科学的態度とは思えないところなのだが、やはり何かの事情があるのであろう。でも何故なのか?

 

(6)嫌増す懸念材料③


 不謹慎なことをいえば、その学校の背後に、有力な後援者のような(公立だから何かの組合やその機関、またはお役所に物言える実力者と言ってしまうべきなのかもしれないが)何某かの排他的宗教団体(あるいはイデオロギー団体)がいるのではないか、と疑わしくなってしまった。

 

 そう思える理由としては、ニュートラルな無宗教状態があまりにも度を越しており、従って「非文化的」になっており、聞くほどに「作為的な宗教性の排除」とさえ思える現状だから、である。因みに本格的な無神論者は、ご都合主義の「自分教徒」などではなく、現職の司祭や牧師以上に聖書や神学に詳しかったりするし、思索も深いことがあり得る。それはいうまでもないことで、彼らは責任を持って論証しなければならないのだ。

 

 しかし、この学校には無神論的信念のカケラもなく、かといって、人間形成において重要と思しき精神性獲得のための思考の枠組みは、その枠を無理に外して(味がしないものとして、あるいは味をなくして)教える、ということをしているらしい(だったら我流でもいいから、精神性漂う味を付けてはくれないものか)。

 

 例えば、ガンジーの生涯からその活動の源である彼の信仰を切り離して考えようとすると、アヒムサーの概念とは無関係に無抵抗運動を知ろうとすることになり、何とか地上的な博愛ヒューマニズムに落とし込みたい下心が見える説明となる。無理がある。それは赤飯から小豆を抜くとか、カレーからガラムマサラを抜いてしまうことに似ている。無理がある。そこまでする意図は何か?(そもそもヒューマニズムにもその宗教的ルーツがあるので、二重に無理が生じるわけだ)。そんなことばかりしていたら、もう何だかよく解らない。

 

 「どうするの?何がしたいの?」といった状況だ。ただの嫌がらせなのか?まさか。あるいは以前に何某かの教団の狂信的信者の教師がいて問題となり、そういうことにデリケートというか、臆病になってしまったということなのか?

 

(7)ささやかな希望の光を頼りに


 とにかく何か変だ。生徒や保護者や上の組織以外の誰かに、何かに意識的に気を使っているようだ。もっと詳しく調べてみないと、誰を不自然に非難し、誰を不自然に賞賛しているかは不明であるから、なんとも言えない。

 

 仮に特定の団体の姿が思い浮かんでしまうような気配が学校関係者やその周辺に及んでいるとすれば(あくまで「仮に」であるが)、それはあまりに露骨すぎる介入と言えるし、学校や〇〇市の無知や油断が招いた悲劇としか言いようがない。

 

 仲良しの子供たちが地元の祭りにも、クリスマス会にも(己の良心とは無関係であるにも関わらず)顔を出すことをも禁じられてしまうとすれば、文化的側面としての神社や教会にまで歪んだ宗教観を当てはめてしまうだろう。(真の「寛容」とは、古今東西、自分の信仰をしっかり持ちながらも、隣人愛から相手を許容することが出来ることであって、宗教的にルーズな感覚のことではないことに、ここでは少し触れておきたい。)

 

 縦の繋がりから切り離された子供たちは、いったい人生の途上で、本当に大事なことと向き合わねばならないときには、どうなってしまうのか。似たようなことは沢山ある。上の例もその氷山の一角だ。

 

 もっとも、文明社会に生きる人々にあっても、未だに人知では届かないところの「知られざる者への畏敬の念」は依然として健在である。これが希望であろうか。むしろ悲しむべきは、現れては消えていくが、やけにお金のかかってしまうミニ教団やその他、目つきがおかしく、そわそわしている人たちによる反社会的な一面を有する集団における攻撃性と、それに裏付けられた謀略であろう。

 

 新興宗教の場合、大概、当初は過激な印象の教団でも規模が大きくなるに伴い、多方面に注意深くマイルドになるのは、基本路線の変更であるとか、妥協だとかとは言い切れぬ。それは法治国家での必然だが、それに不満な過激分子はそこから飛び出す。しかも、もといたところに反逆する傾向が特徴的である。仕方なかろう。何であれ、その始まりは、その後の諸要素の根でもある。

 

 盲目的なこだわりと他者をもそれに巻き込もうとすることこそは、往々にして教義的な衣を纏ったエゴイズムが正体であろう。それはまさに、「先人たちへの敬意」とは似て非なる迷信的な振る舞いとなるのではないか。