加藤 豊 神父
アーサー王の映画があります。わたしが知る限り多分、一番新しいものではクライヴ・オーウェン主演で、彼がアーサー役の映画だと思います。クライヴ・オーウェンはいい俳優さんですね。それはともかく、その映画のシーンの中で、ローマからブリテンに派遣されたゲルマヌスという司教が(実在したかどうかはわかりませんが)アーサー並びに円卓の騎士団の前で次のようなセリフをいうのです。
「この者たちは、ああ、多神教か、そのようなたわいもない信仰については、教会もうるさく言わん。でもアーサー、君はペラギウスを師としているのか」。面白いですね。当時、教会が敵としていたのは異教よりも異端といわれた人たちだったのかと思わせてしまうシーンです(これもシーンじたいが史実かどうかわかりませんが)。
クリスマスは冬至、それより半年早い洗礼者ヨハネの誕生日とされる日は夏至。ゾロアスター教の影響が強いミトラ教の冬至祭とクリスマスとの関係はきっとご存知の方も多いでしょう。その頃のローマでは太陽神ミトラがダントツで人気があり、その影響でしょうか、後にイエスも「正義の太陽キリスト」と呼ばれるようになってしまいます。更にキリスト教は北上し、現在のアイルランドへ。
アイルランドにはドルイド教という宗教がありました。「ドルイド」とは賢者という意味です。北国の冬至はローマよりも早く祝われます。こんにちの「諸聖人の祭日」またそれと表裏一体のような「死者の日」、ドルイドにとって冬至は見える生者の世界と見えない死者の世界が一つに繋がるときが冬至と考えられたのです。ハロウィンは、ドルイド教の「万霊祭」の成れの果てです。死者の姿が仮装となっています。
ある外国人司祭がわたしにいいました。「日本の八百万の神々は、そのまま諸聖人に当て嵌まるではないか。どうして日本人はそれを無視するのか」と。わたしも彼とほぼ同意見です。もちろん複雑な事情が背後にあるわけだし、全く同じようなものといい切ってしまっては流石にまずいでしょう。
とはいえ、ここで皆さんも気づかれたと思うのですが、カトリック教会はキリスト教ではあっても、礼拝の対象は三位一体の神ですが、聖人や天使への崇敬が盛んに行われています。えっ、まるで多神教? と思う人がいても不思議ではありませんね(プロテスタントはまた違いますが)。多神教ではないまでも、分類上はかなり「拝一神教」的なのは確かなのです。
とはいえ、一神教だの多神教だのという、あまりにもザックリとした分類は、もう辞めにしたほうが賢明で、むしろ信仰する側の態度がどうであるかがはじめに問われるべきでしょう。ということで、次に進みます。