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アドロ・テ・デボーテ(Adoro Te Devote)

G.T.

 

 6月14日(日)、「キリストの聖体」の祭日。この日は、とりわけ、ご聖体に対する聖トマス・アクィナスのお祈りを唱えました。

 

 史上最も偉大な神学者の一人と言われる聖トマス・アクィナス(1225−1274年、教会博士)は、「Corpus Christi(キリストの聖体)」の祭日のためにいくつかの祈りの詩を書きました。「Pange Lingua(いざ歌えわが舌よ)、「Adoro Te Devote(謹んで御身を礼拝します)」がその中の2つで、今日でもよく歌われている美しい伝統的な聖体賛歌です。

 

 自分の本国では、毎年のキリストの聖体の祭日や毎週行われる聖体賛美式(ベネディクション)でよく歌われているため、小さい頃から馴染んできた賛歌です。これらの祈りはとても意義深く、心打たれるほど美しく、また、私たちに対する神様の深遠な愛を教えてくれています。


 聖トマスは"Adoro Te Devote"を次のように始めます。

 「パンとぶどう酒の形態の下に隠れておられる神よ、謹んで御身を礼拝いたします。

 御身を見つめながらも全く見通す力のない私は、心のすべてを委ねます。

 今ここに、見るところ、触れるところ、味わうところでは、御身を認めることができません。

 ただ聞くところによってのみ確信します。」

 

 何と輝かしい信仰の声明でしょう。旧約聖書で預言者イザヤはこう宣言しています。「まことに、あなたはご自分を隠される神」(イザヤ45・15)。聖トマスもその信仰の声明で、私たちがご聖体の前で礼拝するとき,パンとぶどう酒の形態の下に隠れておられる神様ご自身を礼拝することを明らかにしています。私たちの感覚が欺かれているのです。私たちが見たり、味わったり、感じたりするものは、私たちの前にある現実を明らかにしません。ご聖体は神様だという不思議で素晴らしい現実です!

 

 "Pange Lingua"の4節、5節に、聖トマスはこのように強調しています。

 「肉となられたみ言葉の一言により、 真のパンは御肉となり、ぶどう酒は御血となった。
 五感はこれを測り得ないけれども、まことある心は信仰のみによって堅く信ずるのである。

 かくも偉大な秘跡を伏して拝もう。古えの式は過ぎ去って新しい祭式はできた。

 願わくは信仰が五感の不足を補うように。」

 

 新約聖書で、約束されたメシアの到来を一生待ち続けていたシメオンは、幼子イエスを腕に抱き、神様をほめたたえてこう言います。「主よ、今こそあなたはお言葉どおり、この僕を安らかに去らせてくださいます。私はこの目であなたの救いを見たからです」(ルカ2・28-30)。私たちもご聖体に近づくとき、ご聖体を拝領するときに、信仰をもって心から同じことが言えるでしょうか。

 

 主は天のいと高きところのご自身の輝かしい栄光からへりくだり、パンとぶどう酒の形態の下に隠れられ、私たちがご自身に容易に近づくことができるようにしてくださっています。私たちはご聖体の前で信仰の目で主を拝領しなければならないのです。また、天使たちが天国で行っているように、私たちも天使たちと共に「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、全能者である神、主」(黙示録4・8)と声を上げ、主をほめたたえるべきです。

 

 聖トマス・アクィナスが教えてくださるように、私たちは常にご聖体に対する私たちの信仰を深め続けることに努め、全身全霊をもって信じる者として神様を礼拝したいものです。

 

Adoro Te Devote

Adoro te devote, latens deitas,  Quæ sub his figuris vere latitas;

Tibi se cor meum totum subjicit,  Quia te contemplans totum deficit. 

パンとぶどう酒の形態のもとに隠れておられる神よ、謹んで御身を礼拝いたします。

御身を見つめながらも全く見通す力のない私は、心のすべてを委ねます。

 

Visus, tactus, gustus in te fallitur,  Sed auditu solo tuto creditur.

Credo quidquid dixit Dei Filius;  Nil hoc Veritátis verbo verius.

今ここに、見るところ、触れるところ、味わうところでは、御身を認めることができません。ただ聞くところによってのみ確信します。

神の御子の言われたことは、何事であれ信じます。この真理の言葉にまさるまものは、世にないからです。

 

In Cruce latebat sola Deitas, At hic latet simul et Humanitas,

Ambo tamen credens atque confitens, Peto quod petivit latro pœnitens.

十字架上では神の本性だけが隠れていましたが、ここではその人性も隠されています。

主にある二つの本性を信じ、それを宣言し、悔い改めた盗賊の乞い願ったことを私もお願いします。

 

Plagas, sicut Thomas, non intueor: Deum tamen meum te confiteor.

Fac me tibi semper magis credere, In te spem habere, te diligere.

私はトマのように御傷を見なくても、御身が私の主であることを宣言します。

どうか、私がますます深く御身を信じ、御身に希望し、御身を愛することができますように。

 

O memoriale mortis Domini, Panis vivus, vitam præstans homini,

Præsta meæ menti de te vívere,  Et te illi semper dulce sapere.

主のご死去の記念として、人に命を与える生きたパン。

私の心を御身によって生かし、甘美な御身を常に味わわせてください。

 

Pie Pelicane, Jesu Domine, Me immundum munda tuo Sanguine:

Cujus una stilla salvum facere Totum mundum quit ab omni scelere.

優しいペリカン、主イエス、どうか、汚れた私を、御血をもって清めてください。

御血の一滴だけで、世のすべての罪を償うことのできる御方。

 

Jesu, quem velatum nunc aspicio, Oro, fiat illud quod tam sitio:

Ut te revelata cernens facie, Visu sim beátus tuæ gloriæ. Amen.

今は隠れていますイエス、乾き望むものをお与えください。

覆いを取られた御身の顔を見出し、御身の栄光を目にする幸いな者となりますように。アーメン。

 

 

Pange Lingua (corporis mysterium)

Pange lingua gloriosi corporis mysterium,  Sanguinisque pretiosi, quem in mundi pretium
Fructus ventris generosi, Rex effudit gentium.

いざ歌えわが舌よ、光栄ある御体と、 尊き御母の御子、

万民の王の世の贖のために流された 尊きおん血とのこの奥義をば。

 

Nobis datus, nobis natus ex intacta Virgine  Et in mundo conversatus, sparso verbi semine,
Sui moras incolatus miro clausit ordine.

主は汚れなき童貞から生れ出て われらに与えられ、
御教えの種子をまきつつこの世をわたり、くすしきご恩恵を与えてこれを終わられた。

 

In supremae nocte cenae recumbens cum fratribus,  Observata lege plene cibis in legalibus,
Cibum turbae duodenae se dat suis manibus.

すなわち最後の晩餐の夜に、 主は兄弟らとともに食卓をかこみ、
旧約の律にしたがって過ぎ越しを食し、御手ずから御身を十二弟子に分かたれた。

 

Verbum caro, panem verum Verbo carnem efficit:  Fitque sanguis Christi merum, et si sensus deficit,
Ad firmandum cor sincerum sola fides sufficit.

肉となられたみ言葉の一言により、 真のパンは御肉となり、ぶどう酒は御血となった。
五感はこれを測り得ないけれども、まことある心は信仰のみによって堅く信ずるのである。

 

Tantum ergo Sacramentum veneremur cernui:  Et antiquum documentum novo cedat ritui:
Praestet fides supplementum sensuum defectui.

かくも偉大な秘跡を伏して拝もう。古えの式は過ぎ去って新しい祭式はできた。
願わくは信仰が五感の不足を補うように。

 

Genitori, Genitoque laus et iubilatio,  Salus, honor, virtus quoque sit et benedictio:
Procedenti ab utroque compar sit laudatio.  Amen.

御父と御子とに賛美と喜びとあれ、また栄えと誉れと力と祝福も。
二位から出給う聖霊もまたともに賛えられ給え。アーメン。