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私たちに与えられた時間をどうするか

G.T.

 

「こんなことが起こらなければよかったのに…」

 

 今年3月に海外の大学に入学した姪っ子と久しぶりにオンラインチャットしました。コロナ禍のせいでまだロックダウン実施中の現地国へ行けず、自宅で完全にオンライン形式の授業を受け、無事に第一学期を終えましたが、9月から始まる第二学期も当面の間まだ現地に行くことができないそうです。

 

 いまだに実際の海外留学生活の体験ができない彼女は、軽く愚痴をこぼした後、「私の時代にこんなことが起こらなければよかったのに」と言いました。それを聞いた私は、ふとその言葉に聞き覚えがあると思ったのですが、その時は思い出せなかったので、そのことには触れず、彼女の気持ちを理解しながら励ましました。

 

 数日後、その言葉をどこで聞いたことがあるかは急に思い出しました―英国の文献学者、作家、詩人の故J・R・R・トールキンの傑作『指輪物語』三部作(原題:ロードオブザリング/The Lord of the Rings)の第一部の『旅の仲間』(原題:The Fellowship of the Ring)でした。

 

 「中つ国」(ミドル・アース)を舞台に、主人公のフロドを含む9人の旅の仲間が、邪悪な冥王サウロンを完全に滅ぼすため、全てを統べる「一つの指輪」を破壊する物語です。若き主人公のフロドが、邪悪な力の指輪を破壊できる唯一の場所、すなわち邪悪そのものの中心に運ぶことができる唯一の純粋無垢な人です。

 

 しかし、中つ国全体の運命がフロドにかかっていることを考えると、フロドにとってそれは恐ろしい重荷となります。邪悪なものは常にその指輪を求め、彼に付きまとい、彼とその運命的な任務に加わった仲間たちを滅ぼそうとします。

 

 物語の中で次のような会話をする場面があります。指輪の暗い歴史と邪悪な冥王サウロンの帰還を聞いた後、フロドは 「指輪が僕の手に渡らなければよかったのに。僕の時代にそんなことが起こらなければよかった」 と言います。

 

 冒頭で、姪っ子も、無意識に軽く愚痴っていた同じような言葉ですが、私たちも様々な状況において何度同じような思いを抱いたことがあるのでしょう。それが悲劇であれ、心痛であれ、悩める時期であれ。「なぜ私なのだ?神様よ、なぜ私がこのような苦しみや悲しみを背負わなければならないのですか」。

 

 多くの人々の命、愛する人々の命、そして多くの人々の生計、生活の目標や夢などを奪っているコロナ禍が一日も早く去るように全世界が願っています。フロドのように、私たちが現在直面している状況を誰一人も望んでおらず、身の周りに潜んでいる有害でマイナスの「力」に恐れを抱いています。

 

 さて、物語の場面に戻りましょう。フロドの言葉を聞いた魔法使いのガンダルフは次のように言います。「ワシもそうだ。このような辛い時代に生きる者は皆そう思う。だが、それは自分たちで決められることではない。私たちが決めなければならないのは、与えられた時間をどうするか、ということだけなのだ」。

 

全ての世代に語りかけている名言

 

 これがこの『指輪物語』大作にある数多く心に残る名言の一つです。実は信心深いのカトリック信者であった著者トールキン(1892年生まれ、1973年死没)が2度の世界大戦を経験した上でこの作品を書き、非常に考えさせられる一文です。どの世代も、いかに平和で繁栄していようと、現在直面している様々な困難や悩みを嘆き悲しむ傾向があるのです。そこで、トールキンがすべての世代に、こう語りかけているのではないかと思います。

 

 「私たちが決めなければならないのは、与えられた時間をどうするか、ということだけなのだ」。

 

 この言葉は、宗教や信仰と関係なく、色々な側面で考えさせられるものだと思いますが、キリスト者にとっては特に奥深い意義がある、と感じています。すなわち、私たちが耐えなければならない時代や状況を、最終的に神様が支配されているのです。そして神様は、あなたと私が含まれている世界のための計画と定めを持っておられるのです。

 

 主人公フロドのように、私たちの周りで働いている様々なマイナスの影響力によって隠されているので、しばしば神様の御計画を見ることができないかもしれません。しかし、私たちが見えるかどうかにかかわらず、神様はご自身の御計画を実現するために忠実であり続け、働いておられるのです。

 

 魔法使いガンダルフの言葉を借りて言い換えれば、「私たちは、そのような困難で悲しく苦しい時を選ぶことはありません。しかし、神様が私たちに与えてくださった時間をどうするかについては、私たちには選択の余地があるのです」。

 

エフェソの信徒への手紙5章15節~17節

 

 よく考えてみれば、著者トールキンが書き残したこの言葉は、使徒パウロがエフェソの信徒への教えを反映しているのではないかと思います―「そこで、知恵のない者ではなく、知恵のある者として、どのように歩んでいるか、よく注意しなさい。時をよく用いなさい。今は悪い時代だからです。だから、愚かにならず、主の御心が何であるかを悟りなさい」。

 

 私たちは誰しも、コロナ禍の終息、様々な苦しみや悩ましい状況からの解放を願っています。しかし、私たちは直面しているマイナスの状況を嘆くばかりで時間を無駄にすることはできません。むしろ、神様が与えてくださった時間に対して、神様に感謝し、主の愛を他の人たちに反映し、主の内に深く成長するために、あらゆる機会をできる限り活用することを選ぶことができると思います。

 

 私たちが決めなければならないのは、「与えられた時間をどうするか」だけです。