· 

聖母マリアへの信仰と理解を深める、新たな科学的視点

G.T.

 

 先月の 「聖母の被昇天」(8月15日) の祭日を祝うミサは、私にとって特に思い出深いものでした。この日は、常に私たちを主イエス・キリストへと導いてくださる聖母マリアとのつながりを、より大きく、より深く感じることができたからです。

 

 祭日の前日、「マイクロキメリズム」という科学用語に出会いました。これは私個人にとって、物心が付いてから信じ続けてきた、聖母マリアの特別な地位に関するカトリック教会の教えに新たな光を当て、マリアの独特の役割に対する私の信仰と理解をさらに深めてくれました。科学と信仰のこの魅力的で興味深い交わりについて、私の考えを分かち合いたいと思います。

 

「マイクロキメリズム」とは

 

 マイクロキメリズムとは、ある個体の少数の細胞が別の個体に存在する現象を指します。インターネットで検索や専門書籍を参考すれば、それに関する情報や詳細がたくさん見つかります。

 

 この現象は母親と子供の間でよく起こると言われます。 胎児由来の細胞は母親の血流に入り、何年にもわたって、時には生涯にわたってそこに存在し続けることがあります。 同様に、母親由来の細胞も胎児に入ることもあります。 この生物学的なつながりは妊娠と出産の期間を超え、母親と子供の間に生涯にわたる細胞の絆を生み出すと言われます。 

 

神の母聖マリア

 

 カトリック教会の教え、また神学において、マリアは「神を産んだ者」つまり「神の母」を意味するギリシア語の「テオトコス」として特別な地位を占められています。これは単なる称号だけではなく、マリアと、完全に真の人間でありながら完全に真の神である主イエスとの間の独特の関係についての声明です。 西暦 431 年のエフェソ(現在のトルコ)公会議は、マリアを「テオトコス」として正式に宣言し、主イエス・キリストの受肉における彼女の特異な役割を強調しました。

 

偉大な神秘をほんの少し垣間見せてくれる科学

 

 マイクロキメリズムについて知ったとき、私の心に電球が灯ったような気がしました。マリアと主イエスのことを考えずにはいられませんでした。もし子供の細胞が母親の体内に入り込んで生きることができるのなら、完全な神であり完全な人間である主イエスの細胞が、マリアの中にも宿られていたのではないか、と思いました。もしそうなら、神ご自身を宿した器であるテオトコスとしてのマリアのことを、これ以上の生物学的に肯定できるものがあるだろうか、と思いました。

 

 この科学的理解は、私の信仰の奇跡的で神秘的な側面を減じるものではなく、むしろ畏敬と驚きの新たな層を加えています。それはまるで、私たちが信仰に基づいて受け入れている偉大な神秘を、科学がほんの少し垣間見せてくれているようなものです。

 

無原罪の聖マリア

 

 「無原罪の御宿り」、神の母となる、おとめマリアだけが主イエスを身ごもる純粋な器として、その受胎のときから原罪の汚れを免れていた、というカトリック教会の教義です。聖母マリアは生涯清らかであり続けました。

 

 マイクロキメリズムについて考えると、細胞レベルでも、マリアと主イエスは密接に結びついていたことが分かります。この現象は、罪のない主イエスの細胞がマリアに宿られていたとしたら、マリアの身体は、神を宿す神聖な空間であったのではないか、と考えさせられます。

 

 「無原罪の御宿り」という概念は、この科学的現象に微妙な響きを見出すことができるのではないでしょうか。教義自体は信仰の問題でありますが、子供の細胞が生涯にわたって母親の中に宿ることができるという知識は、「無原罪の御宿り」に対する私の理解と認識にさらなる深みを与えてくれます。

 

聖母の被昇天

 

 「聖母の被昇天」は、無原罪の神の母、終生処女であるマリアがその地上の生活を終えた後、肉身と霊魂とともに天の栄光に上げられた、という教義です。それはマリアが主イエス・キリストの復活と栄光にあずかっていることを意味し、キリストによる救いにあずかる人たちの象徴として、信じるすべての人たちの救いへの希望を表現するものです。

 

 マイクロキメリズムの視点から見ると、聖母の被昇天は私にとって、美しく新しい意味を持ちます。もし主イエスの細胞がマリアの身体に宿られていた可能性があることを受け入れるなら、彼女の天国への被昇天はさらに畏敬の念を抱かせる出来事となると思います。神ご自身を宿した神聖な器である聖母マリアの身体は、当然のことながら、神との永遠の交わりの場へと定められているのでしょう。


    聖母の被昇天は、母と子の間の生涯にわたる、細胞の絆が永遠にまで続くことを確認するようなものだ、と思います。

 

科学と霊性の魅力的な深い交わり

 

 マイクロキメリズムの概念は、カトリックの教義と並置されるとき、科学と信仰の間に魅力的な調和をもたらしてくれると思います。また、私自身の信仰と聖母マリアへの崇敬をさらに深めました。 「神の母(テオトコス)」「無原罪の御宿り」「被昇天」という核心的な信仰は、それ自体で成り立つ霊的真理ですが、科学のレンズを通して、それらに対する私の理解と認識が深まりました。遠い古代より伝わってきた教えの知恵と現代科学の発見は、相容れないものではなく、深遠な方法で補完し合い、豊かにし合うことができるということを思い起こさせてくれると思います。

 

 科学と霊性のこのような興味深い交わりは、啓発的であると同時に再認識させてくれるものだと思います。それらは、何世紀にもわたって大切にされてきた教義に幾層もの意味と共鳴を加え、私たちの信仰の神秘が最も思いがけない場所で反響を見出すことができることを再認識させてくれるのです。