G.T.
世界が待ち望んだ「平和」
イエス・キリストがお生まれになった頃、
皇帝アウグストゥスのローマ帝国のもとで、長い戦いの時代が終わり、
「平和な時代」が訪れたと言われていました。
しかし、その平和は、権力と軍事力によって保たれたものでした。
皇帝たちの力によって成り立つ平和です。
そのような時代に、神様は全く別のかたちで、
真の平和をこの世にもたらそうとされました。
王宮ではなく、飼い葉桶の中で
東方から来た学者たちは、一つの星を見て、
「新しい王」が誕生したことを悟りました。
しかし、当時の支配者たちは、それを喜ぶことができませんでした。
自分の地位や権力を脅かす存在を恐れたからです。
けれども、神の御子は、王宮でも、立派な家でもなく、
宿屋すら見つからない状況の中で、
家畜の飼い葉桶に寝かされるという、最も低い場所を選ばれました。
それは偶然ではありませんでした。
神様は最初から、力や支配ではなく、へりくだりによって人々を救おうとされたのです。
小さく、弱い姿で来られた神
主イエスは、遠く有名な都ではなく、
地方の小さな町ベツレヘムで生まれました。
迎えてくれたのは、牛やろば、そして貧しい羊飼いたちでした。
預言者イザヤが語ったように、
「牛はその飼い主を知り、ろばは主人の飼い葉桶を知る。
しかし、イスラエルは知らず、私の民は悟らない」(イザヤ書1章3節)。
まさに、人々よりも動物たちのほうが、主を受け入れていたかのようです。
ベツレヘムは「パンの家」という意味の町です。
主イエスは、飼い葉桶――餌を入れる場所に寝かされました。
しかし人々は、そのお方が「いのちのパン」であることに、まだ気づいていませんでした。
最初に気付いた人たち
この幼子の特別さに気づいたのは、
社会の中で決して高い立場にいなかった羊飼いたちと、
真理を探し続けていた異邦人であり、東方の学者たちでした。
学者たちは、黄金、乳香、没薬をささげました。
その中の「乳香」は、神様への礼拝に用いられるものです。
主イエスは王であり、救い主であるだけでなく、
神ご自身が人となられ、来られたお方だったのです。
信じがたい出来事
神様が赤子として生まれる――
それは、当時の人々にとっても、簡単には受け入れられないことでした。
全能で永遠の神様が、
泣き、眠り、母に抱かれる存在になられる。
この弱さこそが、神様の選ばれた道でした。
それは、人間の知恵から見れば「愚か」に見えたかもしれません。
けれども、神様の愛は、人の理解を超えるほど深く、徹底したものです。
クリスマスは、愛の始まり
クリスマスは、ただ心温まる出来事ではありません。
それは、神様がこの世界に踏み込まれた瞬間でした。
力ではなく、愛によって。
支配ではなく、仕えることによって。
高いところからではなく、最も低い場所から。
神様は、私たちを驚かせるかたちで近づいてこられました。
真の「平和の君」
「地には平和、人には善意」。
本当の平和は、武器や権力からは生まれません。
それは、愛から生まれます。
戦車に乗る皇帝ではなく、
飼い葉桶に眠る幼子こそが、
私たちに真の平和をもたらす「平和の君」なのです。
このクリスマス、
神様がどれほど私たちに近づいてくださったのかを、
あらためて心に留めたいと思います。