G . T .
聖母マリアの名を口にする時、心のどこかがふっと温かくなるように感じることがあります。
「恵みあふれる聖マリア」、「あわれみの母聖マリア」、「希望の母聖マリア」など、そして、教会が大切に守ってきた称号――「神の母(ギリシア語で「テオトコス」=神を宿す方/神を産んだ方)」です。この言葉は理屈で説明する前に、静かに味わう時、心に光をともす恵みとなります。
カトリック教会のカテキズムはこう語っています。「実に、聖霊によってマリアに宿り、肉によって真にマリアの子となられたお方は、ほかならぬ御父の永遠の御子、聖三位の第二のペルソナです。教会は、マリアは真に神の母(テオトコス)であると公言します」(カトリック教会のカテキズム 第495項)。この称号は、私たちを受肉の神秘の真っただ中へそっと招いてくれる言葉なのです。
「テオトコス=神の母」と呼ばれて
教会の祈りの中で、マリア様は、少なくとも三世紀以前の遥か昔から「テオトコス」と呼ばれてきました。その背後には、人となられてくださった神様への驚きと感謝がありました。
「御言葉は人間となり、我々の間に住むようになった」(ヨハネ 1・14)。
「神は御子をお遣わしになり、女から生まれさせ、律法の下に生まれさせたのです」(ガラテヤ4・4)。
そして、マリアを迎えたエリサベトは聖霊に満ち、喜びの内にこう言います。「私の主の御母が、私のもとへおいでくださるとは」(ルカ 1・43節)。この言葉は、まるで信仰の芽が静かに胸の中で芽ばえるような響きを持っています。
受肉の神秘を守り抜いた教会
西暦431年、エフェソ公会議は祈りと分かち合いの内に「マリアは真に『神の母』である」と、この信仰をはっきりと公言しました。それは、人となられた御子イエスが「真の人であり、同時に真の神である」ということを守り抜くための大切な宣言でした。
神の御子は人の体を「一時的に借りた」のではなく、人として生きられ、今もその人性を離れないお方として、私たちの世界に来られてくださいました。そのことを想う時、心の中に静かな感謝が満ちてきます。
「私たちと共におられる神」――クリスマスの喜びの核心
教会が主のご降誕の八日目を「神の母聖マリア」の祭日として祝うのは、この称号がクリスマスの喜びの中心を指し示しているからのではないかと思います。
神様ご自身が預言者イザヤを通してこう告げられました。「見よ、おとめが身籠って男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。この名は、『神は私たちと共におられる』という意味である」(マタイ1・23、イザヤ7・14)。私たちがクリスマスの歌にしたり、カードに記したりするその幼子はまさに、インマヌエルなのです。
そして、天使ガブリエルからマリア様へのご受胎のお告げその日から、神の御言葉は人と切り離されることがなくなりました。神は遠い空ではなく、私たちの涙や不安や喜びのただ中にご自身を結びつけてくださったのです。古来、教父たちと聖人たちは、この聖なる神秘を前にして静かな驚きと感謝のうちに祈り続けてきました。
マリア様と共に味わう信仰の喜び
聖ヨハネ・パウロ二世はこう語りました。「マリア様を『神の母』と呼ぶとき、私たちは同時に、神様が人となられたという驚くべき愛の神秘を告白しています」。「神の母」という称号は、マリア様を過度に高めるためのものではありません。むしろそれは、御子イエス・キリストが真の神であり、真の人間であるという信仰そのものをそっと支えてくれる言葉なのです。
マリア様は、御子を胸に抱きしめながら、私たち一人一人の人生にも寄り添ってくださる方です。そして神様は、私たちの弱さも、苦しみも、喜びも、命そのものを永遠にご自身の内に抱きしめてくださることを、この称号は静かに語りかけてくれます。
マリア様を「神の母」と呼ぶ時、それは一つの祈りでもあると思います。神様は遠くにおられる存在ではなく、人となられ、近くに来てくださったお方、私たちと同じ道を歩んでくださるお方です。その神様の愛を今日も感謝をもって心に迎え入れていきたいと思います。
神の母聖マリア、
私たちのためにお祈りください。
アーメン。