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花もまた、典礼の言葉である——生け花による典礼表現について

G.T. 

復活の主日(復活の聖なる徹夜祭)、ミサに向かうと、祭壇の前に美しく生けられた花々が目に飛び込んできました。白いユリ、黄色いバラ、淡いピンクの小花、そして緑の葉、それぞれが調和し、白い布を添えて祭壇のまわりに広がるその姿は、「キリストは復活された!」という喜びをそのまま形にしているようでした。思わず足が止まり、しばらく見入ってしまいました。

 

考えてみると、毎週の主日ミサに与るたびに、祭壇を飾る生け花はいつもその日の典礼や福音に寄り添い、言葉にならない何かを静かに語りかけてくれています。それは単に「美しい」という感覚を超えて、典礼の秘義へと心を向けさせてくれる力があると感じます。

 

ローマ・ミサ典礼書の総則(第3版・暫定訳)第305項はこう述べています。「花による装飾は常に節度を守らねばならない。そして、祭壇の上面に置くよりも、むしろ祭壇の周りに置くようにする。」飾りはあくまで典礼の尊厳に奉仕するものであり、それ自体が目的ではありません。その精神を、あの生け花は実に見事に体現していると思います。

 

聖ヨハネ・パウロ2世教皇による使徒的書簡『ヴィチェジムス・クィントゥス・アンヌス』(典礼に関する公会議憲章『サクロサンクトゥム・コンチリウム』公布25周年記念)の中でこう記されました。「パンとぶどう酒、水と油、そして香、灰、火、そして花、まさにほとんど全ての被造物の要素が、創造主への献げものとして、また祭儀の尊厳と美しさへの貢献として、典礼の中でそれぞれの地位をもっている」(拙訳)。花もまた、神への賛美のために召された被造物なのです。

 

主イエスご自身も、野の花について「栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった」(マタイ福音書6章29節)と仰せになりました。神の御手が造られた花の美しさは、人の技を超えています。それを典礼の場に献げる行為は、深い信仰そのものの表現だと思います。

 

毎週、祈りのうちに花を選び、その日の典礼の流れを心に思い描きながら丁寧に生けてくださっている奉仕者の皆さんに、一信徒として心から感謝を申し上げます。皆さんの奉仕は、目に見えないところで会衆の心を静かに神へと向けてくれています。これからも、その美しい奉仕を続けてくださいますよう、お願い申し上げます。