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子供たちの墓参

加藤 豊 神父

 

 前回に引き続き、以前いた教会での話です。そしてまた前回に引き続き、ご子息さんに先立たれてしまったご家族の話です。本当にこれは、いつまでもわたしの記憶から消えないものとして、これからも事あるごとに思い浮かぶ記憶だと思っています。

 

 千葉には外国人カトリック信者が多いように思えます。もちろんどこにでもおられますが、これは自分の体験からやや主観的に実感していることです(客観的にはどの地域にどの国の人が多いかはわかりませんし、多いというだけで教会に通っておられるかどうかはまた別問題ですしね)。

 

 小学生の男の子を亡くしてたフィリピン人の若いお母さんがいました。彼女のご主人は日本人ですから、その子はハーフの子で、彼のありし日の姿はわんぱくにして聡明な男の子だったといいます。友達も多かった。

 

 彼はわたしが赴任する前には既に帰天しており、また、わたしが赴任する以前から、その教会の青少年活動(ここでは小学生対象の日曜学校)には、年間行事に、お墓まいり、というプログラムがありました。

 

 カトリック教会では、11月は「死者の月」なので、その時期には毎年、通常の教会行事としての「墓参」と、「子供の墓参」の両方が予定されるのでした。ただ、たとえ教会が教会単位で所有する共同墓地でも、市営の大きな霊園のなかに設けられたものですから、管理棟との事前のやり取りが当然必要です。

 

 そこでは(その日の特別な配慮かもしれませんが)、お墓の前での飲食は許されていたので、「子供の墓参」のときには、墓前にブルーシートを敷いて、皆で、おやつを食べたりしていたのです。ある子供が、生前、彼が好きだったスナック菓子を墓前に供えた(もちろん自分でもそれを食べた)ところを見て、わたしはハッとさせられたのです。「まるでエウカリスティアだ」という思いがわたしの心を過ぎりました。

 

 教会の共同墓地ですから、そこに眠る人たちは多くは大人です(そこの最初の主任神父様の遺骨も納められています)。しかし、その昔、一人一人がご健在の折には、その人たちの個性も生きていたのであり、当然そこには一人一人に違いがあったことでしょう。好きだった食べ物や、その人が好きだった飲み物、歌なども十人十色だろうし、その点では「時間的な隔たり」以外、地上の共同体と何も変わるところがありません。

 

 まだ小学生でありながら、天に召された彼の姿も、おそらく世界各地で同様なケースがあるにせよ、お迎えする「向こう側」から見れば、「まだ子供なのにここに来たんだね」という情が察せられ、それはあくまで想像ですが、共同墓地の場合、誰のために参ろうと、追悼されるのは「そこにいる皆」であります。

 

 お菓子が嫌いな大人もそこには眠っているかもしれないが、供え物を捧げる生者の気持ちは、死者にとってどれほどのものであろうか(そもそもこれも想像の域を出ませんが)、と思うと、教会の精神は、この地上におけるそれだけではないわけです。ミサ典礼書の第二奉献文にある死者の追悼の箇所には、次のように記されています。「キリストの死に結ばれたものが、その復活にも結ばれることができますように」。


 墓前に菓子を備えた幼い女の子に、わたしは聞いてみました。「〇〇君は、そのお菓子(商品名を書きますと社名が明らかなので)以外に、どんなものが好きだったの?」すると彼女は(この子もハーフの子でしたが)「バナナが好きだったよ」と答えました。

 

 次の年、わたしはこのプログラムに(一種の「遠足」のような側面もあった行事ですから)おやつはもちろん、亡くなった人が好きだった食べ物を持ち寄るように提案しました。実際のミサではないとしても、帰天者であるその人と、生前どんなものを一緒に食べ、そのときにどんな話題の会話があったかを思い出すことは、よりよく「記念」することに結びつきます。

 

 活発な少年が好んだスナック菓子もバナナも、もう墓参のときに皆で食べれば、それは「単なる食べ物の次元ではない」でしょう。それにひょっとしたら、こうしたことは、既成概念に囚われてしまった大人の人たちへのミサ理解に寄与する身近なたとえの一つとなり得るものだと思うのです。

 

 「子供の墓参」は野外ですから天候に左右されることは言うまでもありませんが、息子さんを失ったお母さんからすれば、異国の地に嫁いだ日から今日まで、それだけでも苦労があったはずですが、その上、小学生のお子さんを亡くすことになりました。そんな若いお母さんの悲哀は、墓参が繰り返される期間において、少しづつ癒されていったように思えました。

 

 人は生きていれば、ある日突然それまでの日常から切り離された喪失感に見舞われることもありますが、その若いお母さんの心の支えとなったのは紛れもなく共同体の関わりだったし、実際、日本に長いフィリピン人カトリック信者たちの多くは、人との距離の取り方が絶妙で(普段は揉めることがあっても)、いざというときにはまた別です。

 

 もし、仮に善意が動機でも、結果的に、相手に対して出すぎた行いになってしまっていたら、そこで癒される間も無く、教会離れや信仰からの離脱だって起きてしまいかねませんから、そうならなかったのは、彼ら(彼女ら)の教会人としてのセンスによるところが大きいと思います。

 

 心身ともに身に付いた彼ら(彼女ら)のミサ理解は実践的な特徴を内包しており、(人によってちょっとファナティックな場合もあるものの)傷ついた仲間へのヒーリング効果を発揮することがよくあると感じました(無論いろんな人がいますから理想化するつもりはないですけどね)。

 

 日本人の場合、その一部には(日本人だけではなくもっと典型的な例もあるが)まだまだアジア諸国や南米の経済状態を基準に「上から目線」の人もいますが、教会内では、それはやめて欲しいものです。教会の価値観からすれば、富んだ者たちを即、成功者だとは言わないし、「小さな者にしか解らない知恵」があることを忘れてはならないでしょう。むしろ外国人カトリック信者から学べることは頗る多いのです。実際、カトリック教会の歴史から見れば、彼ら(彼女ら)のほうが長い歴史があり、その分ノウハウは豊富だし、かつ土着化もうまくいっている面が多々あります。

 

 未だキリスト教というこの古い信仰を自らのものに出来ていないぎこちなさがある一方、教会内における「誰が一番偉いのか」というイエスがお嫌いになるような価値基準から様々な物事を進める仕方は、あまりにも稚拙なのです。

 

 愛する家族の死、「なぜ」と叫びたくなる不条理な現実、そしてそれを前にしたときに発揮される救済力は、信仰と無関係に他の基準から評価されるべきではないものでありましょう。