加藤 豊 神父
福音書を読んでいると、時々、えっ?と思うような箇所が眼に留まります。そもそも、マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネ、それぞれに細かいところは記述内容に違いがありますし、イエスのメッセージが案外「過激な発言」のように思えてきたり、という経験は、多くの読み手にとって思い当たることなのではないでしょうか。
よく、未信者の方々から「仏教では慈悲が宗教で、キリスト教では愛の宗教といわれますよね?」などと訊ねられます。ただ、そのイメージだけで福音書を読むと、「どうもそうは思えない」といった数々の箇所に引っかかるのです。
例えば、典型的なのは、「わたしはこの世に分裂をもたらすためにやってきた」(ルカ12.49)と、イエスご自身が仰っています。ここだけを見ると、とても「愛の宗教」のようではありませんし、平和的なメッセージにも思えません。特定の信仰を持つことで、家族が崩壊までに追込まれるケースが、カルト教団ではしばしばありますし、それが社会秩序を乱して、人類に与える影響は大きいものです。この福音箇所だけをクローズアップして読んだ人の中には、伝統宗教の正統派キリスト教でもカルトと変わらない教えを説いているじゃないか!という印象を抱くこともあるかと思います。
現代の新興宗教の教祖たちは、あらゆる古典的な聖典を自らの教団の権威づけに使い、その聖句の一つ一つを自らの教えの根拠としようとしています。ただ、皆さんは知っているはずです。一方で、この福音のような理解しにくいメッセージが語られたかと思えば、他方でイエスは「互いに愛し合いなさい」(ヨハネ15.12)と言い、そもそも十戒(出エジプト20:2-17)には「父母を敬え」とあります。イエスは、十戒を否定してしまったのでしょうか。また、パウロは「できれば、せめてあなた方は、すべての人と平和に暮らしなさい」(ロマ12.18)と言っていますが、まさか、使徒でありながらイエスに反したことを言っていることになるのでしょうか。
どうでしょう。創世記から黙示録までを綴った分厚い聖書という本のたった一箇所だけを見て、そこからイエス・キリストの福音を理解しようとすることの難しさが、よくおわかりいただけると思います。これは、受け取り手であるわたしたちが受け取り方を十分に心得ていなければならないという教訓として汲み取れることです。カルト的な教義だけが問題なのではなく、カルト的な受け取り方のほうも問題なのです。
例えば「信仰を持っているおかげで、自分は幸せだ」という人がおり、その人がそう感じているなら、その理屈は成立します。逆に「自分が正しいから、周囲の罪深い人からは受け入れられず、迫害され、また、家族からも認められないのだ」という理屈もまた、成り立ってしまいます。結局のところ、どう思うかは人それぞれなのですが、誰も反対できないからと言って「砂の上に家を建てる」(マタイ7.26)ことにも似た安易な幸福感というのは、やはり危険なものだと言えるでしょう。
パウロが「あなた方はまだ罪と戦って血を流すまで抵抗したことがありません」(ヘブライ12.4)と言っているように、自分と向き合う覚悟がない人には霊的な成長がないのです。自分はいつも正しく、不都合なことは全て他人のせい、という独善性は、まさに「砂の上に建てられた家」のように脆いものです。
実は、旧約において「民の堕落(健全な自己理解の欠如)や安逸(これは「平和ボケ」という言葉も当てはまるかも知れません)という末期症状」を浮き彫りにしてしまうのが預言者の役割であって、そこでは国論が二分されたり、意見が別れるのは、ある意味必然ですから「預言者の登場と分裂の発覚」は同時的なのです。
従って、先の福音箇所(ルカ12.49)でイエスは単純に分裂を奨励しているわけでは決してありません。反対に「それが終わるまで、わたしはどんなに苦しむことだろう」と(続けて)仰っています。
この福音は、どう間違っても、カルト的な自己正当化のために利用できる、などと考えてはなりません。
分厚い聖書の一箇所だけを見ないようにしなければいけないどころか、一つの箇所でさえ、多くの場合、人は時間をかけてよく読もうとはしないのです。だから、こうした誤解や「どっちなのかよく分からない」という疑問は、聖書の文字をただ読んでいるだけの時には、さまざまに生じます。
その現象の背後には、いわば「あれはもう読んだ、だから知っている」、「何度も読むなんて馬鹿馬鹿しい」となってしまう合理主義的な?価値観があると思います。自分と向き合い、自分の心の奥深くまでを掘り下げて見なければ、本当の救いに至るのはむしろ遠くなってしまうことでしょう。
どうかわたしたちが、「聖書」という人類の宝ともいうべき分厚い書物を正しく理解し、全ての福音の根底に潜むメッセージである「永遠の命」についての希望を、「福音的」に受け取り、受け継ぐことができますように。