2020年7月12日 年間第15主日

マタイによる福音書 13章1~23節

 

東京教区司祭

油谷 弘幸 神父

 

ユダヤ人のラビであるイエス様

 

 最近読んだ本で、今日7月12日(年間15主日)の福音の個所、「種まきのたとへ」(マタイ13:1~23)に触れている文章があって、とても面白く、そこから私のアタマの中に面白い考えが幾つも出てきたので、その面白さを分かち合わせて頂こうと思います。どうぞ、お付き合い下さい。ちなみにその出典は「ユダヤ人イエスの福音(ヘブライ的背景から読む)」ミルトス社です。


 この本は、イエス様が普通にユダヤ人であったことを前提に、福音書を読み解いていきます。それによると、イエス様は、間違いなく、当時の典型的な「ラビ」として振る舞っているそうです。また、福音書の中の様々な立場の人々(サドカイ派、律法学者、ファリサイ派、そして弟子たちと一般ユダヤ民衆)が、ごく自然にイエス様に対して「ラビ」と呼び掛けていることです。この時代、「ラビ」は、トーラー(律法)の教師と目された人に対して投げかけられた敬称です。後年、70年以降、ユダヤ教の公的資格として「ラビ」が制度化するのですが、イエス様の時代は、一般的な言葉で、政府高官、高位の軍人、奴隷の主人等に対して使われていたようです。英語の「サー」のようなものでしょうか。が、しかし、誰にでも闇雲に使われるわけではありません、「この人は賢者(律法の教師)と呼ぶに相応しい」と誰もが認める人に対して使われていたわけです。つまり、イエス様は、当時の「賢者」、律法の教師、ラビと呼ぶにふさわしい方であると衆目が認めていたということです。


 また、当時の賢者たちが、律法について話すとき、「たとえ」を用いて語ったそうです。まさにイエス様も「たとえ」で話されました。ラビの「たとえ」はヘブライ語で話され、その後、アラム語で解説されるのが通例で、だから、イエス様もヘブライ語で「たとえ」を話されただろうとのことです。


 更に、種のまかれたところが、「道端」「石地」「茨の中」「豊かな土地」と四パターンに分けられて語られていますが、この「四つに分ける」という語り方も、当時のラビたちの一般的な話法だったそうです。


 イエス様は、まさに当時のラビの典型的な話し方をしていたわけです。

 そして、また、イエス様のこの「種まきのたとえ」の背景には、当時ユダヤ教で論争されていた重要なテーマが間違いなく踏まえられているだろうというのです。それは出エジプト記24:7「私たちは主がおおせになったことをすべて行います、そして、聞きます」という文章の解釈で、「行い」の後に「聞く」ことが出てくることが論争を呼び、聞くことが先か、行うことが先か、当時、あつい議論が交わされていたそうです。「律法を聞くこと(学ぶこと)と、行うことは、どちらが重要か」というテーマです。イエス様もこの論争を踏まえて、この「たとえ」を話していることは当時の状況から間違いないだろうというのです。


 そしてイエス様の主張は「行うこと・実行すること」の方にウェイトがあります。「良い畑」とは、聴いて「行う」人のこと、良い畑になるとは、行うために「聞く」ことです。「聞く」のも「行うこと」が目指されて良しとされます。そのように聞くことが「良い畑」「良い聞き手」である、これがイエス様の主張です。

 

 また、「30倍、60倍、100倍の実を結ぶ」という表現をイエス様はされていますが、当時の(そしてもしかしたら今でも)ユダヤの人々がこの「100倍」という言葉を耳にすると、誰しもが、ある聖書個所を思い起こすそうです。ユダヤの人々は皆(と言い切ってもいいかと思います)子供の時(5歳)からトーラーを学びます。声に出して読み、繰り返し繰り返し学んでトーラーを全て暗記するそうです。そういう彼らにとって、この「100倍」という言葉は、ただちに「イサクはその地に種をまいて、その年に100倍の収穫を得た(創世記26:12~13)」の文章を思い出させたそうです。

 

 私などは、これまで、この個所を、「良い畑の具合によって、30倍の実を結ぶ人もいれば、60倍の人も、100倍にもなる人もいるよ」といった理解をしてきたのですが、どうもそれは違うようです。

 

 どんどん豊かになっていく、ダイナミックなイメージだと理解した方がいいようです。ドンドン、ドンドン、30倍…60倍…豊かに、豊かになっていくよ!!ほら、イサクのように「100倍だよ!!」という具合です。先祖の、偉大な族長イサクに結ばれ、イサクのように豊かな豊かな神様の恵みを得ることができる!!

 

 こんなイメージが喚起されるようです。
 

 そして、その豊かさを得るポイントが、「良い畑」となること、すなわち、「聞いて」「行う」、「行う」ことに重点をおいた、心構えと実践を持つことです。
 

 ある宗教家は「ヤコブの手紙」を「藁くず」のように価値の低い本として、「信仰によって義とされる」ことを強調しましたが、イエス様の立場は、どうも「ヤコブの手紙」の立場のようです。「信仰があるというなら、行いで示しなさい」の立場のようです。

 信仰と勉強にはとても熱心だけれども、「行い」の全く伴わない私にはとっても痛い解釈です。

 またイエス様はよく問答をします。質問したり、質問し返したりといったやり取りをします。きつい調子で、相手を非難し叱責しているように感じられる時もあります。しかし、どうもこれもまたラビ的なやり方でもあり、当時の教育のやり方でもあったようです。


 とすると・・・これは「ディベート」ではないか!!私はそう思いました。


 丁々発止と互いの立場から相手の意見を論破し正当性を主張する、一見、言葉による戦いのような、熾烈な争いのような印象がありますが、これがユダヤ的な教育法であったのです。とすると、私には、腑に落ちないでいたいろんなことに得心がいくように思えました。ファリサイ派の人々もなんか悪意があるように見えるし、イエス様だって、随分挑発的で喧嘩腰だ・・・そうした点が解せなかったのです。が、これがディベート(議論、問答)による、学び合い、真理を求める共同作業だったとすると・・・イエス様とフィアリサイ派の人々、律法学者たちとのやり取りが、違った意味合いで捉え直されてきます。イエス様に対する悪意ある論争ではなく(ごく一部に悪意ある人たちはいたでしょうが)ほとんどの場合、それは、平和な学び合いであった・・・

 そのように理解すると更に納得のいくエピソードが出て来ました。
 

 神殿から商人たちを追い出す宮清めの出来事です。

 

 『イエスは革命家だったか?』という本によると、このエピソードの理解は大きく二つです。一つは、神殿におけるこのような行動こそ、堕落した当時のユダヤ教に鉄槌を下す強硬なデモンストレーションであり「革命家イエス」らしい行動だとする理解、そして、もう一つは、これは、当時、預言者的に人々に問題提起するときの、オーバーなパフォーマンスだったとする理解です。

 

 神殿警備兵がいる境内では、初めの理解は、実は歴史的に不可能だったようです。間違いなくすぐに取っ捕まって牢屋行きです。福音書の記述にはそうした言及はありません。そして、二番目の理解なら、神殿警備兵はその行動を了解しているので騒ぎ立てることはなかったのだというのです。説得力があります。ラビとしてのイエス様が、神殿で人々に教えを説く時に、こうした預言者的なパフォーマンスを行ったことは大いにありそうです。ちなみに、当時の神殿の境内では、沢山のラビたちを囲んで、部屋の中や石段や広場で、ユダヤの人々はたくさん学びの場をもっていたのです。

このように「種まきのたとえ」に始まって、イエス様が典型的なユダヤのラビだったという視点からいろいろと見直すと、面白いアイデアが幾つも出て来ます。

 

 皆様は、それぞれにどのようなメッセージを読み取るでしょうか。

 

 ご参考までに・・・。