2020年4月9日~11日

 

聖なる過越の三日間の典礼についての教話

 

主任司祭 加藤 豊

 

 今年は新型コロナウィルスの影響がことのほか大きく、結局のところ、聖なる三日間の典礼は公開はもとより、非公開でもかなり制限が加わったため、ここに「年に一度の大切な典礼」を出来るだけ疎かにしないようにその想いだけでも皆さんと共有したいと考え、教話の形でメッセージを発信しようと思いました。

 

 

 聖木曜日「主の晩餐」

 

 この日は文字通り、主イエスと弟子たちで「過越の食事」を共にした晩餐の席を祝います。しかし、ご存知のように、この後、イエスは連れ去られるのです。それゆえその場は「別れの食事」と化してしまいます。


 皆さんは、親しい人とお別れするとき、また、家族や友人との死別を迎えたとき、更には、相手を前にみずからが去って行かねばならないときには、そこに何を残して行かれるでしょうか。亡くなった人が残された人たちに置いていくものがあるとすれば、何よりその人の生涯ですが、それを印として具体的に示すものとして「遺言」や「かたみ」が象徴的です。

 

 この日、イエスは、「パンを取り、感謝を捧げ、弟子に与えて仰せになりました。皆、これを取って食べなさい。これは(このパンは)あなた方のために渡される、わたしの身体である」と仰いました。そうです。この日、地上ではじめて(主ご自身によって)ミサ(エウカリスチア)が行われたのです。ということはつまり、この日、この地上ではじめてご聖体が誕生したわけです。

 

 去って行くイエスは、いわばご自分の「遺言」として福音を、いわばご自分の「かたみ」として「過越のパン」を、まだイエスの死を迎えていない弟子たちに対して、あたかもご自分の遺族へとお委ねになる遺産のようにして「みことば」と「秘跡」を残していかれました。もちろん復活者キリストは福音が語られる場に、また命のパンが「形見分け」されるところに現存なさいますから、これらをして単なる「遺言」単なる「かたみ」としては不充分でではありますが、イエスの遺族としての教会という自己理解は、第二ヴァティカン公会議において顕著です。公会議において恵みの相続者としての教会が受け継いだものについて、「Depositum Fidei」(信仰の遺産)と表現しているのですから。

 

 皆さんは、愛する人との別れに際して、その人たちに、何を残していかれるでしょうか。また、その人たちへのみずからの思いを、どのような「しるし」に託し、どのような言葉をお贈りになるのでしょうか。

 

 

 聖金曜日「主の受難」

 

 実は今でもまだ基本的な勘違いがあるようなのです。この日の典礼はミサではありません。あえていえば「みことばの祭儀」に分類される儀式です。聖体拝領の場面だけはあるものだから、ミサのように思われてしまう方々がまだまだおられます。

 

 この地上にミサをもたらし、ご聖体を誕生させた主は昨日、逮捕され、その記念を教会は聖木曜日に毎年(今年はともかく)行うのです。主が取り去られたのだから、聖堂内のイエスをイメージさせる演出となるものは、撤去されるか覆いを被せられ、イエス不在が表現されます。聖金曜日はまさに主がこの世から取り去られた記念であって、この日は主の受難と死だけが記念されます。一年間で一番暗い典礼です。ついに十字架に付けられ、殺されてしまうのです。

 

 ミサというのはキリストの「死と復活」の記念ですから、「死」だけを記念する日であるこの日がミサであるはずがないのです。しかし、見た目には暗い印象しか与えないこの日に主は人類贖いの業を全て果たし終えるのです。その意味で、この日の典礼は人類に対する神の愛が最も高まった「とき」を表すものでもあります。

 

 個人的な意見としましては、新たな命の祝祭たる復活や贖われた者として新しい命に生きるための再スタートを切るための復活祭よりもわたし自身は、この日の内容はありがたい限りのご恩を感じます。しかし多くの人にとっては、残念ながら「主イエスの贖いの業」と自分が今感じている実際の苦しみとの間に接点を見いだすことが出来ず、今尚「苦しむ者と共に苦しんでおられる主イエス」を見いだすことに困難を感じておられるように思われます。


 普段からこの日は参加者数が少なく、それは偏に理解が及ばないためで、今後は妥当な理解が行き渡るよう求められて然るべきだと思うのです。わたしたちは日常的に感じているはずです。「現実は厳しい」とか、「人生は苦しい」とか、「生きていくことは大変だ」とか、「世の中は上手くいかないものだ」とか、そういう嘆かわしい事態を。だからこそ「主のご受難」に心を向けることで必要な救いについて知らされてくることになるはずなのですが。

 

 

 聖土曜日「復活徹夜祭」


 天地創造から新約の時代に至るまでを、なんとか2時間で表現しなければならない(少々無茶な)典礼です。救いの計画とその歴史は昨日今日の事柄とは異なる人類規模の巨大なテーマなのでこれは仕方ない。

 

 その救いの計画と歴史の延長線上に、傷だらけの世界が再び立ち上がろうとしています。何もかもが新たにされることを生きとし生けるもの全てが望み、その救済が最早、時間の問題として、その日に先立って将来的な神の国の完成が約束されます。

 

 しかし、「受難があるから復活もある」わけで、聖金曜日と復活徹夜祭とをセットで考えていただければ何より幸いです。というより、聖なる三日間は本来、三日間かけて一つの典礼を行っていると言っていいです。三日三晩の参列は実際には難しいというのが現代日本社会の現実としてあるわけですが、参加が難しくてもこの三日間の典礼が目指すところの重要性は広く知られなければなりません。

 

 

 まとめ

 

 この度の新型コロナウィルス(武漢肺炎)を巡る不自由な状況は悲しむべきことではありますが、しかし、その一方でわたしたちは問われているのではないかと考える人も増えています。

 

 先ず、聖なる三日間の典礼がたとえ非公開であれ、行われないような状況にまで追いやられてしまったために、ショックを受けている人は多いのですが、案外あっさりと「今年はないみたいだね」という受け止め方で終わっているという人も結構いるようなのです。それはどうやら諦めがいいわけでも、信仰がないからでもなく、重要な事柄である認識に至っていない現実があるようで、本来の目的や意味を知らされていないままにされたからでもあるでしょう。

 

また、反対に強烈なショックを受けている人もいて、むしろこういう人たちのほうがきっと沢山おられると思うのですが、それは概ね、熱心だからというよりはいつもなら「あるもの」が今年は「なくなった」ということへのショックであることが大きな理由のようです。この場合も目的や意味を欠いたままになってしまいます。

 

 しかしながら上述のどちらでもなく、ショックはショックだが、致し方ないと受け止めておられる方々が内に秘めておられる落ち着きは、目的や意味を理解した上でのそれであり、中止であるなら、少なくともこの三日間の目的や意味を黙想しながらこの間を過ごそう、といった具合に、気持ちを切り替えることでこの困難を乗り越える姿勢となっているようです。

 

 そもそも聖なる三日間とは何なのかということに何の疑問も関心もないままに感覚的な信仰に留まっている限りは、この典礼の目指す目的や意味について深く知ることで、みずからの信仰を豊かにしていこうという営みを欠いてしまったまま毎年過ごしてしまうようなことにもなりそうで、その意味で、今年の事態は決して「いいことではない」が、「いい機会ではある」のかもしれないのです。

 

 全てが新しくなるためのまことの刷新は、ひょっとしたらこのような時期に訪れるのかもしれません(既に死者も多数おり、決してありがたいことではありませんが)。イスラエルがみずからの拠り所を確立し、やがて解放される日を希望しながら、その日のために様々な文献を整理し始めたのは、なんとバビロンにおける捕囚時代のことでした。

 

 また、主なる神に対して民が従順だったのは、約束の地に入る前、即ち荒れ野にいた時代のことでありました。まさに先人たちは置かれた状況から、本来の目的や意味を見つけ出し、それをもとにみずからが出来ることをし、出来ないことは出来るときが来るまで待ちながら準備を重ねていました。そういう状況に現在のわたしたちのことを当てはめてみるならば、当然、以下のような自問自答が浮かんでくるはずです。

 

 聖なる三日間を挙行できない年に遭遇したわたしたちは今、どのような信仰態度で主なる神のみ前に伏すのがいいのだろうか、と。