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見果てぬ夢を

加藤 豊

「大事を成すにあたっては、先ず、人を以ってその基となす」。

 

ご存知の方も多いと思いますが、有名な三国志の主人公の一人である劉備玄徳の言葉です。物語の中では、劉備は負け組となるので、これが名言としてどれほどの価値があるのかはわかりません。しかし、実際、ことの本質を言い表している言葉ではあります。

 

政治のシロートであるわたしには、あまり高邁なことは言えないのですが、劉備の言は以前に流行った「コンクリートから人へ」というスローガンとは異なります。

 

公共事業もまた生身の人間の営みであって、世界最速の計算速度のスーパーコンピューターもまた人と人との労苦で生み出される見果てぬ夢です。

 

そして資産家はそのような夢にこそ惜しまず投資します。ですから、これは半端なことではないわけです。無一文から募金を積み重ね、土地を買い、聖堂を建てたかつての宣教師たちの姿が思い浮かびますね。

 

こんにちまでの間、時代は変わり、人も変わって今に至ります。しかし、相変わらず「大事を成すにあたっては、先ず、人を以ってその基となす」の心で心ある人たちが生き、全人類規模の貢献を無意識にであれ追求しているのです。それは人が人のために見る見果てぬ夢なのです。

 

わたしたちの周辺を見回して見ましょう。小金井教会のみならず、全小教区のそれぞれの主任司祭たちが追い求めてきた「見果てぬ夢」、それは神と人、人と人とを繋ぐ「大事」です。大事を成すにあたっては、先ず、人を以ってその基となす」、つまり神と人、人と人とを繋ぐためには、みずからが繋ぐ人となるしかないのです。上手くいかないことも多いなか、人間的な弱さを抱えたまま、それぞれに福音を生きる人たちを前に基を固めていた歴代の司祭たちの成したかった様々なことを思い起こしましょう。

 

サルトルは言いました。「可能性は行動の中にしか存在しない」。福音宣教とは何かという議論をいくら続けても答えなんて出ないのではないかと思います。だからこそこのキーワードを軽々しく使っては行けないだろうし、肝心なことは、漠然とした理解であれ、とにかくそれを生きてみることですよね。

 

見果てぬ夢を追いかけて。