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信仰を助ける為の信心と 祈りを覚える為の信心業

加藤 豊

 

ご存知のように6月は「聖心」の月です。ところで、これとはまた別に(というか、ここを起源に行われるようになったのが)「みこころの信心」があり、それは主に「初金曜日」のノヴェナ(9回連続の信心業)もあります。毎月「初金曜日」(第一金曜日)に9ヶ月間でミサに参加し、それによって「免償」を得る、という信心業ですが、今となってはそもそも「免償ってなんだ」というくらいにこれは過去のこと(というわけではないとは思いますが)になってしまっている感があります。

 

この記事は「免償」の説明をするために書いたのではいので、それについてはまた他の機会にとさせていただきたいのですが、まあ、これはいってみれば、今でも世界史の教科書などで「免罪符」などと間違った呼ばれかたをしている「あれ」です(呼ばれかただけではなく厳密には解釈も間違っているのですが)。

 

ともあれ、「みこころの信心」の成り立ちについては、マルガリータ・マリア・アラコクという聖人がきっかけです。この聖人は、なんと一説には「腎臓病」の守護聖人とされているようです(このあたりのことは実をいうと民間伝承も多いので正確なことはよくわかりません)。でも「聖心」って、心臓ですよね。循環器には違いありませんが、詳しいことは残念ながらよくわかっていないのです。しかし、よくわからなくても「信心」を持つことはできます(そのうち「信仰」と「信心」についてもお話ししなければなりませんが)。

 

わたしも血液や血管や血圧すなわちそれに伴う循環器の病気を負っていますので、「聖心の月」にはよく聖マルガリタの取次を求めて祈ります(どうか迷信深い奴だと思わないでください。病人は藁をもすがりたい思いになるものです)。

 

但し、「初金曜日」のノヴェナは難しい。そもそも典礼暦年の原則に従えば、毎月第一金曜日が自由な意向でもいい「緑」の週日だとは限りません(9ヶ月間、第一金曜日が「緑」かどうか毎年調べているわけではありませんが)、それに加えて今では初金曜日の「世界共通の意向」や「日本の教会の意向」もこれに関わってきます。もとよりノヴェナのための初金だと少し教会の共同体的な面が弱いく、以前、教皇様(ヨハネ・パウロ二世です。この方も「これでもか」というくらいに信心深い教皇様でしたが)ある意味でこの点をカヴァーするものとなりえます。(よき伝統は続けたいが、現代の教会にとってはそのの用いかたや位置づけは本当に難しいですよね。)

 

今回、なぜこんな記事を書く気になったのかといえば、正規の「典礼暦年」と、伝承に基づく月間とが混同されてはならないという危惧と、「信仰」の中心的な問題と、オプションとして続いている物事の両者が同列に扱われてしまうと、結構、混乱する場合があるからです。

 

例えば、3月は聖ヨセフの月で、5月は聖母月、6月は聖心の月、10月はロザリオ月ですが、これらと典礼上の季節とは別物であります。四旬節、復活節、待降節、降誕節は典礼上の季節ですが、「聖心」の月がこれらと同列に置かれてはなりません。

 

確かにこうしたことはややこしいのですが、優先順位があることだけでもわたしたちは知っていたほうがいいでしょう。否、知っておかなければならないのでしょう。