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「信仰」と「生き方」の不一致について

加藤 豊 神父

 

 諸宗教についてキリスト教の側からの考察がなされるとき、そこには何人かの(この分野における)著名な神学者の名が思い浮かぶであろうと思う。

 

 なかでも、今や神学校でも紹介される筆頭に「神は多くの名を持つ」で知られるジョン・ヒックが引っぱり出されることになろう。彼の場合には、自らがその論旨の体現者でもある。ところで、この日本には、彼と同じような生い立ちの人々が多数いるにも関わらず、彼のような結実はなかなか見られない。

 

 異なる宗教間に挟まれた子供達は何人もいる日本において、である。これはいったいどういうことか。大げさなことをいえば「信仰」と「生き方」との結びつきが、異なる信仰を持つ父母のもとにいながらにして、どちらの側からも見られない現実があろうと思う。次のことは小学校でも習うようなことである。

 

 すなわち、「平安時代には、仏教は貴族のアクセサリー(「信仰」即「生き方」ではなく「信仰」即「装飾」)となっていたので、最澄や空海が現れ、山に登って修行する(それまでとは異なる新たな形の)仏教が誕生した」。これはいわば宗教改革ともいえるものである。「もともと仏教とは何か」という呼びかけであり、問いかけである。

 

 ちなみに、奈良時代の南都六宗は「信仰」即「学問」だったし、鑑真の場合には時代が多少違えど、やはり庶民の手に届くものを提示するには(鑑真の情熱は本物だったが)至らなかった。更に、山に登って修行できない庶民にとって、身近に仏教と接するためには鎌倉期まで待つしかなかったし、それをしも後の時代には、「信仰」即「生き方」となるどころか、宗派毎の習慣や(習慣を通して「生き方」が表現される場合もあるので一概にはいえないが)それを基盤にして教団を温存するあまり、「しきたり」を知りつつ内容や御本尊は不明のまま過ごす信者までいるという現状となる。

 

 カトリック教会も下手をすればこれと全く変わらない。教皇来日を歓迎しつつ、そのメッセージを注意深く聞き、みずからの生き方とするという事例やその成果は、今やどうであろうか。

 

 「生き方」の内実がどうのこうのと、難しく考える必要はない。「わたしはこうして生きています」「わたしはこう信じているので、こういう人生を過ごしています」という、至ってシンプルな事柄を巡って、ここではお話しをしているだけである。


 しかし、オプションに夢中になる人が多すぎるのである。カトリックには位階聖職者制度といわれるものがある。しかし、それらもこの世限りのものである。パウロがいうように、「完全なものが来た時には完全でないものは衰える」のである。

 

 しかし人は過ぎゆくものに心を留め過ぎ、地上的な権威をそっくりそのまま教会内のそれと混同し続け、その勘違いにいつまでも気づかない、という人もいる。しかも、みずからの権威付けのためにその権威を利用するような(利用価値などないと思うのだが、素直に靡く人もまたいるので)稚拙でつまらないことに夢中になる傾向がなかなか後を絶たない。

 

 全世界にカトリック信者は12億人くらいいるらしい。その価値観が「生き方」となっている人を、わたしは「キリストの受肉」に喩えたい。しかしながら、ここで「信仰」即「生き方」などと聞いて、「原理主義の勧め」のように思われてしまうという懸念を、わたし自身が抱くくらいに、「信仰」即「生き方」とは思われていないほどに、この両者が不一致なケースがある。

 

 「原理主義?」などここでは扱わない。ここで言わんとしていることはまさにその逆で、だからこそ「排他的原理主義」が嫌うところの「諸宗教」の頁でこの問題を扱っているのである。

 

 人それぞれ、霊的、人間的成長のスピードは違う。大切なことは「決して自己完結しないこと」であるのだが、「言いたいことは沢山あるが、聞くべきことは何もない」という姿勢が、そのスピード(否、遅くても動いてさえいれば前に進むが)を遅らせ、心の動きは停止してしまう。こうした諸宗教にほとんど共通に見出せるような「対人間観」の希薄化という課題は種々の教壇に共通なテーマであろう。

 

 ジョン・ヒックは両親の双方が異なる信仰を「生き方」としていたからなのか、その(両親)双方を貫く普遍性に気づかされる。ただし(人と思想とは切り離せないのに)その生い立ちなどは、神学の授業においてはあまり注目されない。

 

 ところで、カトリック側の神学者では、「信仰」即「生き方」という視点で、諸宗教を貫く対人間観という論旨から信仰を語ったのが、この分野ではいわずと知れたカール・ラーナーだ。彼の「無名のキリスト者」発言はおそらく(そもそも当たり前のことを論じているのだが)、人によっては衝撃的だったと思う(ということは、それまで「信仰」即「生き方」が当たり前ではなかった、ということなので、わたしにはそのことのほうが衝撃的なのだが)。

 

 ラーナーのそれは教義学的には確かにギリギリだ。なぜなら、非常にキリスト教的ないしは福音的な(曖昧な言葉の使い方は避けたいが)「生き方」をしている非キリスト教徒(無名のキリスト者)は、例えば仏教の側から見れば、その人が非仏教徒でありながら仏教的な価値観で生きているような事例を持ち出して「無名の仏弟子」といえてしまうからであり、一歩間違えれば(神学的には)危険な相対主義の発端にもなりかねないのだから。

 

 とはいえ、ラーナーの言わんとしていることは全世界的な地平で人間を頷かせるものだ。日本はキリスト教国ではない(カトリック用語でいえば「宣教地」という位置付け)である。わたしが「いわゆるローマンカラー」のままタクシーに乗れば、「お客さん、むち打ちですか?」と運転手さんから聞かれるし、そんなことに目くじら立てて怒り狂う神父は皆無であろう(イタリアでは状況が逆で、田舎町ではタクシーのほうから神父を乗せたがったりもするが)。

 

 もとより、教会の権威は地上の権威ではない。そもそも司祭職が現代日本社会において、「だからなんだ」というのが通常の感性であろうと思う。関西弁で云うところの「なんぼのもんじゃ」である。その尊さは「身分社会の格差の基準と同列」に置かれてしまっては逆に損なわれるであろう。ましてや、その権威を用いて自己目的から物事の権威づけをしようとする人がいるなら、何十倍もの「なんぼのもんじゃ」なのかがわかっていただけると思う。だからこそ、謙虚にならなければならない。

 

 「開かれた教会」ではまだ甘いだろう。「開かれた地域(信教の自由があるこの国)に受け入れてもらえた教会」というくらいの謙虚さが必要ではないだろうか。これは「信仰」を恥じることではない。卑屈になることでも、迎合することでもない。そもそも、柔和、謙遜、寛容などは、本来キリスト者の徳目(あえて古めかしい言葉を使うが)ではないのか。

 

 こうした「価値観」「対人間観」を携えて、わたしたちは(今は亡き)ヨハネ・パウロ二世の遺言のように響いてくるキーワード、つまり諸宗教間の「対話」に乗り出すべきであろうと思うが、多分まだ機は熟していないと思われる。

 

 少なくとも、やれ「かくかくしかじかの教書にはかくかくしかじかと書いてある」とか(そういうメッセージは「受肉」しない限り、権威づけに使われたりもする)、そういった(受肉しない限りは)矮小で、宣教対象である外部を気にせず、内輪のことばかりに関心を抱き、「お山の大将は誰か」など(イエスが一番お嫌いなことであるはずだが)、あれこれと思い倦ね、相変わらず「信仰」即「生き方」には、なかなかたどり着かない現状が(今ではだいぶ少なくなったものの)いたるところに見られるのだから。