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「6番目の憂鬱」

加藤 豊 神父

 

 昭和を振り返る記事が多すぎるかな、と自覚しているところではありますが、かつて、歌手の沢田研二さんが歌っていたヒット曲なのですが、実は、沢田さん(ジュリーですね。若い人は知らないかもしれませんが)ご自身が、この曲「6番目の憂鬱」についてその制作コンセプトを説明していたのを覚えています。

 

 曰く「6という数字はボクにとってはなんとなく憂鬱なイメージでした。6月は梅雨の季節だし、連休もない。それに国によっては縁起の悪い(日本風の表現ですが)数字みたいだし、ラッキーナンバーの7と、四捨五入で割り切る5の間にあって、4とか13ほどのものではないから、そこがまた憂鬱な感じがして.....」というようなお話しだったと記憶しています。ちなみに歌のサビの部分の最後の歌詞は「♩憂鬱だよ♩」って、まあかっこよかったのですが。

 

 確かに6月は連休どころか、日曜以外の休日ってないんですよね。それで梅雨の季節。ただ、ご存知のように、わたしたちにとっては「聖心の月」、また、ジューンブライド(June bride)も最近ではあまり意識されませんが、今でも民間の結婚式場などは件数がそこそこ増えたりするらしい(特に「大安」の日ですが、最近は5月のほうが多くなっているらしいのですが、それこそゴールデンウィークがありますしね。今年は例外中の例外ですね)。

 

 とはいえ、日本の6月は欧州のそれとは違い爽やかな季節ではありません。いくらキリスト教式であっても欧州の習慣をそのまま日本に当てはめたところで(それっぽく見えるような教会を装う結婚式場なども含めてですが)快晴率の点では、「本日はお日柄もよく」とはならんでしょ。結局この習慣は定着しなかったのではないかと思います(習慣というより結婚式場の企業戦略でしょうか)。

 

 但し、「聖心の月」は梅雨かどうかに関係なく、しかもこれからも熱心にこの信心を続ける人たちによって受け継がれていくでしょう。これまでわたしが経験してきた教会は、皆さん「今年の聖心の月には何をしましょうか」と問う人や、既に企画されている行事などがありました。特に千葉地域は外国人が多く、わたしがいた教会は本当にフィリピン人が多かった(前にもお話ししましたが)。

 

 彼等のニードとして、この「聖心の月」を祝いたい思いは強く感じられました。ちなみに「聖心の信心」に関しては、ほんの少しコラム(2020/2/17)で触れていますが、お互いのために祈る時と場が様々な機会にあっていい。生きている人たちだけでなく、亡くなった人たちのために「免償」を使うというかつての営みも横の繋がり(空間))とはまた異なる縦の繋がり(時間)を超えた隣人愛へとわたしたちを招くものでもありましょう。もちろん形にこだわってはいけないが、せっかく形があるなら、それを用いていい、そんな風に思います。

 

 実は、今回なぜ、こういう記事を書いたかというと、去年の「聖心の月」の集いでは、わたしの試みが見事に失敗したと反省しているからなのです。今年はもっと事前に準備しなければと痛感しています。その日の天気は雨、雨天時に予定していた案は、わたしの甘さから実現に至らず、メリハリのない集いとなってしまった印象を拭えず、責任を感じています。去年のことを思い起こすと「♩憂鬱だよ♩」というあの歌詞が条件反射のように浮かんでくるからなのです。

 

 今年はまた特別な社会状況からしても、もっと複雑なことになってしまい、結果的にはやはり憂鬱なのですが、だからこそかえって聖心に頼りたいと思います。