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B面を聞く人

加藤 豊 神父

 

 いまや真空管の購入はオーディオ音響マニアのみ、まあ逆にいえば、だからまだこれがまだまだ文化的な趣きを保っているわけですね。かつてのLP版が一気にCDとなった時代はもう過去のことですが、いまでもマニアックな人たちがいて、そのせいか、それほど昔のことのようには思えません。LP盤を楽しむ人たちはこれからも絶えないのかもしれません。

 

 ただCDシングルにはB面がなく、B面に相当するものは「カップリング」曲というらしいです。わたしはCDシングルというものを買ったことがないので、その辺のことはよくわかりません。昔(といっても感覚的にはそれほど昔ではないのですが)はシングル盤のレコードはA面とB面でした。当然主曲はA面の曲ですが、なんとB面のほうがヒットして、後からそれがA面となって再発売、ということもありました(クイーンというグループにそれがあったと思いますが)。

 

 ところで、教会の信心である「ロザリオ」「十字架の道行き」などは、いわばB面にあたるものではないでしょうか。しかも庶民の間ではA面に勝る勢いを誇った時代もあり、教会はこれをいまも大切にし、奨励しています。

 

 カトリック教会も、もちろんキリスト教会ですから、聞かせたい曲はシングルA面だと、聖書、特に福音書ですね。しかし、B面がまたよかったわけです(欧州の識字率が低い時代には特に)。これは時代時代で文字通り表裏の関係でした。ただ、本来聞かせたい曲はA面です。A面を聞かずにB面から聞く人というのはほとんどいない。でもごく稀に、そのシングルのB面がいい、という人はたくさんいたでしょう。

 

 これがアルバムだと、シングルとは異なりB面といえどもA面の続きです。CDはそのままにしておけばいいが、昔はLPをひっくり返してB面にして続きを聞いたのです。だからアルバムなら、B面から聞いていた、という人はいないですよね。

 

 信仰と信心、典礼と信心業、聖書と伝承、こういうメインとサブのようなセットは今後も教会にとって大事な「信仰の遺産」でしょう。シングルでB面となる曲は、決して無造作に安易に決められていたわけではありませんし、また買った側のほうとしては(時間がないならともかく)聞かないままなのは損をした気分にもなるでしょう。

 

 刷新の嵐吹きすさぶ間は「ロザリオで祈るなら詩篇で祈れ」などともいわれることがありましたが、最近では落ち着いて来ているようです。シングルレコードを買ってA面しか聞かなかったという人も、なかにはいたのかもしれませんが(個人的には考えられませんが)、どちらにしても、偏りが指摘されるなら、必要なのはそれを否定することではなく修正することであるはずです。

 

 「ロザリオなんて古いぜ」といわれているうちならまだしも、最近は「ロザリオってなあに?」という現実が目の前にあります。「これは如何なものか」と、普段は「A面はどっちだと思ってるんだ」と嘆く人たちでさえも、さすがに「これは如何なものか」と思うのではないでしょうか?