主任司祭着任のご挨拶

加藤 豊


今年の復活祭から小金井教会の主任司祭として着任いたします加藤豊です。

 

とまぁ、いかにもという感じの切り出し方ですが、ご承知の通り、わたしはすでに昨年から小教区管理者として小金井教会で働いていたのです。それが主任司祭という立場に変わるだけなので、変に改まってご挨拶、となりましても、他から移動してきたわけではない分、なんだか実感が伴わないのは皆さんもご同様とお察しします。

 

ところで、今現在のわたしの立場「小教区管理者」って、一体なんだろうと思われる方もいらっしゃるのではないかと思い、それについて極簡単に説明しますと、ようは「主任司祭代行」です。つまり正式にその小教区に主任司祭が着任するまでの間、あるいは正式な主任神父様が何かの理由で不在の間、そこで留守をあずかる「留守番」です。

 

今回のわたしの場合は、次に来る神父様が決まるまで、わたしが小金井教会の留守番神父だったわけですが、結局その「来るはずの神父」が、わたし自身であったという、なんとも不思議な話に聞こえることなのであります。いわば「臨時雇用」が「正規雇用」になったようなものですね。

 

しかし、もとより担当者が変わることばかりをして人事というわけではありません。担当内容が変わること、これまた人事であります。

 

今振り返ると、わたしは「小教区管理者」というお役をこれまでも随分とさせていただいた気がします。

 

先ずは、かつて司祭に成りたての頃、助任司祭だったわたしは、サバティカルで不在となる主任神父様から教会の留守をあずかりました。次に初めて主任をした教会では、その頃、隣の教会の神父様が海外でのお仕事のため、長期不在があって、代わりに隣の教会のお葬式をさせていただいたりしました。その教会の委員会に出席したりしました。

 

他にも任命外で急遽留守番をすることになったのは、わたしが以前、千葉の房総にいた時代のことでした。やはり隣の教会の主任神父様が外国に滞在中そこで病気になってしまわれたのでした。

 

そして去年、この小金井教会の小教区管理者を命じられた時点では、臨時なのだから、きっとわたしの次には他の神父様が主任司祭として着任なさるだろうと思い込んでいました。

 

なんだか、ちょっとバツが悪い気もします。というのは、いわゆる用心棒ってどこからともなくやってきて(去年のわたしは教区本部からでしたけど)しっかりと自分の仕事をしたらまた次の地に赴いて行く、つまり必要がなくなればそこには留まらないのが用心棒の用心棒たる所以でしょう。

 

しかし、よく考えてみれば、地上の教会がどこも例外なくやっていること、それは主人の帰りを待って留守を守っていることです。

 

「主の死を思い、復活をたたえよう。主が来られるまで」といわれているとおりです。どんな役職であれ、司祭たちに限らず、わたしたちは主の再臨を待って留守番をしているわけです。その意味で、「小教区管理者」というのは、象徴的な留守番業務に思えなくもないのかなと。

 

今度は主任司祭です。長期のプランについても皆さんからきっと種々様々な相談を受けたり、したりするでしょう。何卒よろしくお願いいたします。