さくらまち 189号(2019年5月12日)


◆ 待降節特別講話

◇ 聖性への招き ◇

 

大阪教区

松浦謙神父

教皇フランシスコの『使徒的勧告 喜びに喜べ――現代世界における聖性』にもとづいてお話しをします。

 

聖性を生きるということ

 

「わたしは、神の民の忍耐の中に聖性を見るのが好きです。(一部略)わたしたちのすぐ近くで神の現存を映し出す「身近な」聖性です。別の言い方をすれば、「中産階級の聖性」です」(14₋17ページ)。

 

ごくふつうの人たちが、聖人として生きることができるように招かれているということです。わたしがこれまでに出会った真福八端を生きた3人を紹介します。

 

心の貧しい人々は、辛いである、天国はその人たちのものである――村井幸男さん

 

大阪教区の岸和田教会に赴任した時に、村井幸男さんという寝たきりの信者と出会いました。1953年、紡績工場で働いていた27歳の時に、作業中の転落事故で頸髄損傷を負い、みぞおちから下が麻痺してしまいました。

 

入院中の病室には、女性の肖像画が1枚かかっていました。カトリック信者の患者さんが聖母マリア像だと教えてくれました。その方の紹介で神父さんが定期的に病院に来てくれ、キリスト教の話をされました。村井さんは、しだいに心を動かされ洗礼を受けたいと思うようになり、1956年に受洗しました。

 

村井さんは、生後8か月で父親が亡くなった姪ごさんのエリちゃんの父親代わりに、宿題を手伝ったり、相談にのったりめんどうをみました。エリちゃんはすくすくと成長し、大人になって結婚して3人の子どもができました。村井さんはその子どもたちにも絵本を読み聞かせるなど、できるかぎり、のめんどうをみたので、村井さんの部屋は子供たちがほんとうに安心できる場所となっていました。

 

重傷を負った時に余命10年と言われましたが、事故後53年生きられました。前向きに生きる力、子どもたちをはじめ、家族を支えようとする心は驚くばかりでした。

 

柔和な人々は、幸いである、その人たちは地を受け継ぐ――ジョゼフ・バーナーディン大司教(枢機卿)

 

スティーブン・クックという男性が、神学校在学中にバーナーディン司教から性的虐待を受けたと訴えました。スキャンダルとして世界中に報道されましたが、司教にはまったく身に覚えのないことでした。

 

幸いに、捜査が進むに連れ、根も葉もないことが明らかになりました。しかし、根深い不信感が残り、司教の受けたダメージははかりしれないものでした。

 

スティーブンは神学校の応接室で司教に率直にあやまりました。神学校在学中にある神父から虐待を受け、教会に失望し、教会から遠ざかっていました。悩んでいる彼の周囲の者が教会を相手どって告訴するように、そそのかしました。彼はエイズにかかっていました。司教は聖堂に行き、ミサを捧げともに祈りました。ミサのかなで司教は彼の心と身体の癒しを願って、病者の塗油の秘跡を授けました。

 

スティーブンは感謝し、「わたしは新しい生き方を始める決心をしました」と言いました。司教自身も、心にほんとうの平和を感じて帰路につきました。

 

義に飢え渇く人々は、幸いである、その人たちは満たされる――ネルソン・マンデラ氏

 

ネルソン・マンデラ氏は、南アフリカ共和国のアパルトヘイト(人種隔離政策)廃止のために、人種平等を求めるアフリカ民族会議のリーダーとして、白人政権に対して果敢な闘争をくりひろげました。1964年、国家反逆罪に問われ終身刑をいいわたされました。27年間、牢獄生活を送りました。その間に国際世論が高まり、国内外の状況の変化によって、1990年に釈放されました。

 

翌年にアパルトヘイトは撤廃され、人種を超えた全国民参加の選挙によって、ネルソン・マンデラ氏は(新生)南アフリカ共和国の初代大統領に選ばれ、全国民に呼びかけました。「わたしはみなさんのしもべです。今は古い傷を癒し、新しい南アフリカを築く時です。」

 

山上の説教の真福八端を想いながら、3人の生き方を紹介しまひた。

 

心貧しく生きた村井さん、柔和な赦しの生き方をつらぬいたバーナーディン司教、平和のため義に飢え渇き、義のために迫害されたネルソン・マンデラ氏。

 

わたしたちは貧しく、弱く、力がない人間であり、神さmのあわれみといつくしみがないと生きることができません。その姿勢を忘れなければ、山上の説教で言われているほんとうの幸いな生き方が、この世においてできるはずだと思います。

(小金井教会、2018年12月2日)