2020年5月31日 聖霊降臨の主日(祭日)

ヨハネによる福音書20章19節~23節

 

主任司祭

加藤 豊 神父

 

以心伝心

 

 

 皆さんは「以心伝心」という言葉の由来を知っておられるでしょうか。 「心を以って心を伝える」という意味ですが、これは実は仏教用語です。言い伝えによれば、あるとき大勢の弟子たちの前でお釈迦様が教えを説いていたときのこと、その場にいた弟子の一人がお釈迦様(仏陀)の心を即座に読み取ったというエピソードがこの「以心伝心」という言葉の由来です。

 

 説教をしていた釈尊がその最中に小さな花を手にとって微笑んだ、それを見ていたその弟子は釈尊の心を見抜いて一緒に微笑んだというのです。相手が何を思っているかを、言葉を使わずに知ったわけです。言葉を超えたコミュニケーションというのか、話す前から相手のいいたいことがわかるという、その意味で「以心伝心」はまるでテレパシーとか読心術のような、そんな現象です。しかし、そこまで大袈裟に扱うまでもなく、わたしたちも普段ふとしたことから相手の気持ちが無言のうちに伝わってくるような経験を多かれ少なかれしているはずです。

 

 かつてわたしはある床屋さんに行きました。散髪が終わって料金をお支払いしようと思ったら「いや神父様、結構ですよ」とおっしゃって、更には、手土産までいただいた次第です。まことに恐縮なのです。長崎出身のその床屋さんがわたしにくださったものとは、いったい、なんだったと思いますか。そのときの様子はこんなでありました。

 

 ご主人「おい、神父様に『あれ』持ってきな」

 おかみさん「えっ、あんた『あれ』ってなにさ」

 ご主人「そりゃ『あれ』に決まってんだろ」

 おかみさん「あっ、『あれ』かい。はい『これ』、ここおいとくよ」

 ご主人「神父様、『これ』どうぞ」

 加藤「これは何ですか」

 ご主人「ええ、『これ』は『あれ』です」

 加藤「ですから『あれ』ってなんですか」

 ご主人「ええ、『それ』はほら『あれ』です」。

 

すごいでしょ。「あれ」「これ」「それ」、指示代名詞だけで会話が成立してしまうんです。ご夫婦ともにこれまで様々な苦労を共にしてこられた方なので、もう、こういうときは言葉はいらないのでしょう。まさに「以心伝心」ですね。

 

 ところで、いただいた「あれ」と呼ばれる品物は、何だったのか、皆さんお判りになりますか、長崎出身の信者さんがくれた黄色い袋に入った長方形の甘い「あれ」です。是非「以心伝心」で当てて見てください。

 

 さて、復活節最後の日である今日は「聖霊降臨の主日(祭日)」です。復活者キリストは天に昇り(使徒1:6-11)、その10日後に聖霊が降ります。イエスを信じる人たちは、当時既にいろいろな文化圏に広がっていて、最初は限定的なユダヤ人社会だけであったかもしれないが、地中海沿岸にキリスト教はあっというまに広がります。ユダヤ人たちも「ディアスポラ」と呼ばれる各地に離散した人たちが沢山いました。だから当然お互いの国の言葉はわかりません。人々はペトロの話を聞こうとするが外国から来た人たちには言葉が解らない。しかし、奇跡が起きました(使徒2:1‐15)。

 

 その場にいた皆が皆、自国語で話しながら互いに会話が成立してしまったのです。そのことは、聖霊の働きといってしまえばそれまででしょうし、かつて全世界にはどんな地域でも一つの言葉で通じていたとされるバベルの塔ができる前の人類相互が理解し合えた時代の説話に基づいてこれが起きたという見方はもっともな受け取り方といえます(創11:1‐8)。

 

 しかし、わたしは思います。聖霊の働きは「以心伝心」をもたらすのではないかと。そこでわたしは次のように祈りたいと思いました。

 

 (聖霊を求める祈り)「聖霊来てください。言葉を超えたコミュニケーションへとわたしたちを導いてください。わたしはかつて外国人が多い教会で働きましたが彼らとは言葉は通じなくても気持ちは通じていました。しかし、同じ日本語を使う者同士でも互いに理解し合うのは難しいことです。どうかあなたの力で、日本語を使う者同士が調和を心がけて歩んでいくことができますように、アーメン」。