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縺れた糸 ③「黙して語らずではマズいので」

加藤 豊

「日本人はおとなしい」。国際社会は今でもそのように見ているでしょうか。そうだとしても「何も言わないことは認めたことと同じ」という受け取られ方に対しては、日本人も敏感になってきていると思います。確かに、冤罪を被るくらいなら、反論が必要ですよね。「わざわざもういいよ」とか「相手にするなよ」という意見もありましょうが、比較的、著名な人がキリスト教について一般の方々からさえ「そういい切ってもいいのかねえ?」といわれてしまいそうな反応があり、誤解は決して解けない類のものではないと思うのですが、おそらくは「そんな暇はない」ということなのでしょう。

 

教会の外側からも内側からもこんな声を聞くことがあります。「もともと日本人は高い倫理観を持っているのだから、そこにキリスト教の価値観を上乗せすることもないのだ」と。これはおもにキリスト信者が増えない理由づけとして語られたりします。

 

変な論理です。一見なるほどと思えるのですが逆にだからこそキリスト信者がもっといてもいいという結論にもならないでしょうか?宣教が思うように進んでいないとしたら、理由はもっと別の次元のものだと思います。

 

これからそれを見つけて行きたいと思いますし教会内にもありそうな種々の難点も探ってみなければなりません。

 

従いましてこの「縺れた糸」は一旦、ここで終了させていただき、また新たな形で似たようなテーマを企画することにいたします。