待降節の意義を思い巡らす(1)「新たなエリヤ」 「私はガブリエル」

G.T.
加藤神父監修

 

新たなエリヤ

 

13天使は言った。「恐れることはない。ザカリア、あなたの祈りは聞き入れられた。あなたの妻エリサベトは男の子を産む。その子をヨハネと名付けなさい。14その子はあなたにとって喜びとなり、楽しみとなる。多くの人もその誕生を喜ぶ。15彼は主の前に偉大な人になり、ぶどう酒も麦の酒も飲まず、すでに母の胎にいるときから聖霊に満たされ、16イスラエルの多くの子らをその神である主に立ち帰らせる。17彼は、エリヤの霊と力で主に先立って行き、父の心を子に向けさせ、逆らう者に正しい人の思いを抱かせ、整えられた民を主のために備える。」

ルカによる福音書1章13~17


 ルカによる福音書の最初の場面では、ザカリア(現役の祭司)とエリサベト(モーセの兄である祭司のアロンの子孫)という年老いたユダヤ人の夫婦が紹介されていますが、彼らはおそらく想像もしていなかった形で、神の救いの御業に関わり合わせられることになろうとしています。

 

 この場面は、ザカリアとエリサベトがついに子供を授かるという単純なことではありません。その子は、ご両親にだけでなく、すべての民に祝福をもたらすことになるのです。なぜなら、洗礼者ヨハネは、神がイスラエルの民に遣わされた最も重要な預言者の一人となるからです。天使はザカリアに、その子について3つの素晴らしいことを語っています。

 

 第一に、「彼はぶどう酒も麦の酒も飲みません」(15節)。旧約聖書では、誓願によって神に身を捧げた「ナジル人」 は通常の生活から離れ、酒を飲まない習慣がありました(民数記6章3節、士師記13章4節)。このことから、洗礼者ヨハネはナジル人のように、主への特別な奉仕のために取り分けられることが示されています。

 

 第二に、天使が語る、この子は「すでに母の胎にいるときから聖霊に満たされている」(15節)ということで、ヨハネがどのような奉仕のために定められているのかが分かります―彼は預言者になるのです。サウルに降りて来られた聖霊が彼を預言者に変えられたと、旧約聖書に記されています(サムエル記上10章10節)。また、ダビデの内に語り、主の御言葉は彼の「舌の上にある」ようにされたのも主の聖霊でした(サムエル記下23章2節)。預言者たちのエゼキエル、エリヤ、エリシャのイスラエルの民での務めのときにも、同じ聖霊が彼らに降りました(エゼキエル書11章5節、列王記2章9-16節)。

 

 第三に、ヨハネの預言者としての務めの重要性は、天使が彼について語っている最後の言葉に示されています。「彼は、エリヤの霊と力で主に先立って行き、父の心を子に向けさせ、逆らう者に正しい人の思いを抱かせ、整えられた民を主のために備える」(17節)。

 

 これは、旧約聖書に記されている最後の預言を反映しています。預言者マラキは、主がいつかイスラエルの民を贖うために来られ、ご来臨に備えて民を準備するために使者を遣わされると、告げています(マラキ書3章1節)。この使者は、新たなエリヤのようになるのです―「私は預言者エリヤをあなたがたに遣わす。彼は父の心を子らに、子らの心を父に向けさせる」(同3章23-24節)。

 

 従って、聖ルカによる福音書の幕を開くこの場面は、単に神が介入して、敬虔なユダヤ人の夫婦に子供を授けられ、祝福された話ではありません。むしろ、この記述はイスラエルの民のことを代表的に物語っているでしょう。ザカリアとエリサベトが不妊であり、子供を授かるように神の祝福を願っているのと同じように、ユダヤ人も苦しんでおり、神が再びご自分の民を訪れられ、祝福されることを待ち望んでいるのです。そして、神は全ユダヤ人の願いにも応えるような形によって、ザカリアとエリサベトの願いに応えてくださいます―主のご来臨とイスラエルの救いのための道を整える息子を彼らに遣わすことです。

 

私はガブリエル、神の前に立つ者

 

18そこで、ザカリアは天使に言った。「どうして、それが分かるでしょう。私は老人ですし、妻も年を取っています。」19天使は答えた。「私はガブリエル、神の前に立つ者。あなたに語りかけ、この喜ばしい知らせを伝えるために遣わされたのである。」

ルカによる福音書1章18~19節


 ザカリアは、天使の名前ではなく、何らかの保証を求めていましたが、天使は、何だか謎めいた答えで自分の名前を明らかにしました。しかし、その天使の名前こそ、ザカリアが求めている保証に結びつける重要な情報であり、イスラエルの民についての物語を最重要期となる転換点に持って行かれるために、神がご自分の民の生活の中で、実際に行動を起こしていることを理解するのに役に立つ情報となります。

 

 旧約聖書の中で、天使ガブリエルが言及される唯一の場面は、預言者ダニエルが与えられた重要な幻のとき(ダニエル書8章~9章)だけなので、彼の名前を明かしたのは意義深いことでした。ダニエル書9章の中では、ダニエルは神がご自分の民に憐れみを示され、異国の抑圧者の下でのユダヤ人の苦しみを終わらせるように祈っていました。ダニエルの祈りの最中、天使ガブリエルが「夕べの供え物」の頃、すなわち、お香が神殿で捧げられる時刻に、彼に現れました。

 

 天使ガブリエルはダニエルに、良い知らせと悪い知らせを告げました。一方では、イスラエルの民は異教徒の国々の下で長く苦しむことになりますが、もう一方、その苦難の時期が終わると、神が、罪を終わらせ、過ちを償うために、「油注がれた君」(メシア)を遣わされます。この油注がれた者こそ、永遠の義をもたらされ、イスラエルの民に対するすべての預言を成就されるのです(ダニエル書9章24-27節)。

 

 天使は自分の名前を明かすことによって、ダニエル書9章の預言を思い起こさせます。預言者ダニエルに起こったことと、ザカリアに起こったことの類似性は、その繋がりを更に強調されています―ダニエルと同じように、祭司の務めをしているザカリアはイスラエルの民に代わって祈りを捧げています(ルカ1章9節)、ダニエルと同じように、ザカリアもお香が捧げられる時刻に、その祈りを捧げています(10節)、そして、ザカリアの祈りの最中、天使ガブリエルが現れています(11節、19節)。

 

 こうして、天使ガブリエルは自分の名前よりも、はるかに多くを明らかにしています。 彼は微妙ながらも、ダニエル書9章に記されている預言がついに成就されることを告げ知らせているのです。そして、ザカリア自身の息子が、長い間待ち望まれている「罪を償い、永遠の義をもたらし、すべての預言を成就される油注がれた者」である主のために、整えられた民を備える重要な役割を果たすことになります。(続く)

 

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