待降節の意義を思い巡らす(3)「マリアの歌」

G.T.

加藤神父監修

 

マリアの歌
ルカによる福音書1章46節~55節


46そこで、マリアは言った。
「私の魂は主を崇め
47私の霊は救い主である神を喜びたたえます。
48この卑しい仕え女に/目を留めてくださったからです。
今から後、いつの世の人も/私を幸いな者と言うでしょう。
49力ある方が/私に大いなることをしてくださったからです。
その御名は聖であり
50その慈しみは代々限りなく/主を畏れる者に及びます。
51主は御腕をもって力を振るい/思い上がる者を追い散らし
52権力ある者をその座から引き降ろし/低い者を高く上げ
53飢えた人を良い物で満たし/富める者を何も持たせずに追い払い
54慈しみを忘れず/その僕イスラエルを助けてくださいました。
55私たちの先祖に語られたとおり
アブラハムとその子孫に対してとこしえに。」

(聖書協会共同訳より)

 

 マリアの親族で洗礼者ヨハネを身ごもっているエリサベトが、主イエスの母としてのマリアの祝福を認めた後、マリアの神への賛歌が彼女の心からあふれ出ます。


 「マリアの歌」は、神の偉大な御業、特に神の思いは人の思いとは異なり、神の道は人の道とは異なること(イザヤ55・8~9参照)に焦点を当てています。


 メシアの母を選ばれるにあたり、神は目立った女性を選ばれたのではなく、ご自分の「卑しい仕え女に目を留められた」 のです(ルカ1・48)。主は思い上がる者を称賛するのではなく、「追い散らした」のです(1・51)。主は「権力ある者をその座から引き降ろし、低い者を高く上げ、飢えた人を良い物で満たし、富める者を何も持たせずに追い払いました」(1・52-53)。マリアご自身の経験からもはっきりと見られるように、神の御国は人間の構造や価値観を覆すものです。

 

 マリアの歌は、私たちの価値観や目標を考えるように促していると思います。私は人生の中で間違ったことを求め、そのために努力しているでしょうか?私の人生のどれだけが、名誉や評判、権力を求めることに捧げられているでしょうか?貧しい人々や飢えている人々と分かち合うよりも、自分自身の物質的な恩恵にしがみついていることが、どれほど多いでしょうか?

 

 マリアの歌の目的は、私たちを所有物や影響力を持っていることに対して罪悪感を抱かせることではないと思います。むしろ、マリアのように、喜んで謙虚に神に仕える者となるために、私たちの人生を捧げようと呼びかけているのです。イスラエルのように、私たちも神の御国を反映し、神の御国の延長線上で他の人々に仕え、世界で主の召使いとなるように召されていることを思い起こさせてくれます。

 

 マリアの歌は、主がご自分の目的と栄光のために私たちを用いてくださることができるように、本当に大切なことのために、今日を生きたいという望みを私たちにかき立てるべきです。

 

 マリアの歌は、私たちが一歩下がって、自分の価値観や努力についてあらためて考えるように促してくれます。この待降節は私たちに、あらたな求め方、奉仕の仕方、犠牲の仕方を与えてくれることができますように。

 

 そして、聖アムブロジアがこのマリアの素晴らしい祈りについて言ったように、
「マリアの魂が私たちの中にあって主をたたえ、彼女の霊が私たちの中にあって、救い主である神を喜ぶことができますように」。

(続く)

 

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